『天気の子』 祝福されない子どもたち
実は自分は晴れ男。大事な用事がある日は、たいてい晴れる。天気予報が雨だとしても、自分が外出している時間だけは、雨が止んでいる。だから友人や家族から、重要な日に招集される。「責任持てないな〜」と内心ハラハラしながら着いていくと、やっぱり晴れる。もちろん超能力者ではないから、たまには雨に降られる。一日中雨降りの日は、すぐに止みそうにないと断言して納得する。天気の子ならぬ、天気のおじさん。
集団行動で、雨降りのなか強行出発しようとする場面がある。そんなとき、「あともう少し待てば、雨止むのに」と内心思っている。それでも早く出発したいのだろうとみんなに合わせる。すると20分もしないうちに晴れ間が見えてくる。虹なんか出ちゃったりする。周りのみんなが「もうちょっと待てば良かったね〜」なんて言ってる。それで「あ、みんな天気を察知できないのね」と、自分の能力に初めて気づく。カルチャーショック。
「すげー。一緒にいるとやっぱり晴れるね!」と驚かれることもある。第三者から見ると、自分が歩き出すと、その真上の空から光が刺してくるように見えるのだろう。でも本人からするとカラクリなどはない。その日の温度や大気の匂い、風の流れなどを分析してるだけ。これ、案外みんなやってない。そうなると、昔話に出てくる村の預言者なんかも、これと同じかも。案外大したことないのではと疑ってしまう。
直感や洞察が得意な人が、いきなりこれから起こることや、失くしもののありかについて発言する。それがその発信者の発言通りだったら、神のお告げに思えてしまう。でも発信者からすると、いくつかある事象から推理したに過ぎない。発信に至るまでのプロセスを丁寧に説明させてもらえば、特殊能力でもなんでもないのがわかる。感がいいというのが特殊能力というなら、まあそうなのだろうけど。
新海誠監督の『天気の子』がテレビで放送された。自分は新海誠作品を鑑賞すると必ず具合が悪くなる。映画公開時、小学生のウチの子たちも「友だちが観に行ってたらしいよ」と遠巻きに打診してきた。自分は新海作品に、なにか危うい毒素を感じている。どうしても子どもたちに、手放しで観せられる作品ではない。もちろんそれが作品の魅力でもある。
この映画は、天気をコントロールできる少女が主人公。自分のような天気を読む「晴れ男」とはちょっと趣の異なる、特殊能力系の「晴れ女」。
意外にも『天気の子』は、少年犯罪の映画だった。ぶっちゃけPG12のレーティングが必要なのではと危惧してしまう。タイトルに「子」とつくセンスも冷や汗が出る。登場人物は保護者不在の少年少女。そんな二人が、くたびれた都会で出会えば、破滅的な展開しか予想できない。映像美で描くのは、現実逃避の心象風景。この危うい思春期の雰囲気、ヨーロッパの青春映画やヌーベルバーグ、それに影響された作品の匂いがプンプンしてくる。
新海誠監督の前作『君の名は。』は、大林宣彦監督の尾道三部作の影響が色濃かった。今回は、レオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』がまず浮かんだ。他にもトリュフォーの『大人は判ってくれない』や『突然炎のごとく』、破滅的なところはアメリカン・ニューシネマにも通づるところがある。香港のウォン・カーウァイのテイストもある。若者のやり場のない感情をぶつけた映画たち。今回の『天気の子』は、海外展開も考えていただろうから、欧米の過去作からルーツを模索したのだろう。
そういえば映画学校に通っていた頃、ジャン・コクトーの『詩人の血』に登場する鉄砲は、男性そのもののイメージだと教わった。映画に出てくる鉄砲や武器は、男性の象徴だと。そんなことで目から鱗が落ちてしまうのだから、どれだけ自分がウブだったのか。
『天気の子』は、自分の子どもたち世代に向けて作られた映画。作った新海監督は、自分と同じ世代。よくもまあ、思春期の非力や、ホルモンバランスの崩れからくる、精神不安定な感覚をよく覚えてらっしゃる。おじさんになっても、リアルタイムの若者たちの心を掴むことができるなら、かなり拗らせてる感じがする。元ネタのルーツになった映画が、自分が20代前後に出会った作品ばかりなのも、同年代ならではの既視感。ただ、そろそろ日本のアニメは、スタジオジブリやエヴァンゲリオンの焼き直しから卒業しなくてはならない。『天気の子』のルーツになった映画たちは、一筋縄ではいかない難解さががカッコ良かった。日本のメジャーアニメのスタイル、とてもわかりやすい表現で同じテーマを再演する。敷居が低い分だけ、さらに危うい。
少年のとき、大人は全員敵だと思っていた。大人は判ってくれない。でも実際は、大人の中でも子どもを理解してあげたいと思っている人もいる。両者が歩み寄れる方法が見つからない。みんな生きるのに不器用。それは自分が大人になって判ったこと。思春期の最大の誤解。この誤解が世界を歪んで見せてしまう。果たして、自分がもし今10代だったら、この映画にどっぷりハマったのだろうか?
この映画に共感する感性。ふと今の若い子たちが気の毒になってしまった。恋をするのにも言い訳してる。自己肯定感の低さ。生きづらさを抱えた若者たちは、現実ならば消えていくしかない。でもこの映画はファンタジー。力技のカタルシスで、エンターテイメントに持っていく。
少なくとも子どもたちには、社会に大事にされていると感じて欲しい。祝福されて生まれてきて、純粋に未来に夢を見れないものだろうか。自信が持てない若者たちの文化を、人生の忘れ物が多い大人たちが導いてる。『天気の子』は、現代のハーメルンの笛吹き男なのか?
自分に自信がないと、極端な英雄に憧れてしまう。でも誰も望んでいないのに、誰かの犠牲になる必要はない。世界が雨を降らせたいなら、降らせたままでいい。まずは自分自身が幸せになるように努力する。実はそれが世界を救ういちばんの近道。自分の人生に向き合う責任感。覚悟。セカイ系という壮大な妄想と、ささやかな幸せ。only oneだけど、one of themでいい。選ばれし者 the oneを目指すのは、自分に優しくない。普通の幸せがいちばん難しい。もうゴマかせない。扇動はいらない。
『君の名は。』のときに、いつのまにか少年が少女を呼び捨てにするのが気になった。『天気の子』は立場が逆転する。男尊女卑では世界に通用しない。ジェンダー問題を解決する? シンプルに女子と仲良くしたい? それならミソジニーは、しばらく女性に謝り続けなければならないだろう。日本のフェミニズムへの道のりは、まだ始まったばかりだ。
この映画が制作されたのは2019年。まるでコロナ禍を予測していたかのような展開。晴れ男や晴れ女は、世界を服従させるのではなく、世界の声を聞く語り部となればいい。共生の必要。
いつかコロナ禍が収束したとき、それ以前の世界に戻ることはないだろう。我々は災難を経験してしまった。無かったことにはできない。アフター・コロナは新しい世界。奇しくも映画はそんな未来をシミュレートした。生活様式どころか資本主義のあり方も変わっていく。そうなると旧世代の頭のカタイのおじいちゃんでは、新しい世界を築けない。本当の幸せって何だろう。やはり未来のある若者が、祝福される社会にならなければいけないようだ。
選択肢があるなら、ダサいものは選ばない。カッコ良かったり、カワイかったり、自分のテンションがアガるものを選んでいく。周りを意識して、協調していく。特殊能力や武器は、とりあえず必要ない。
作品はそこまで意図していないだろう。もしかしたら真逆の考えかもしれないし、何も考えていないかもしれない。でもこの映画から、そんなことを感じてしまう自分がいた。
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