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『チェンソーマン レゼ編』 いつしかマトモに惹かされて

公開日: : アニメ, 映画:タ行, 映画館, , 音楽

〈本ブログはネタバレを含みます〉

アニメ版の『チェンソーマン』が映画になって帰ってきた。自分は『チェンソーマン』はアニメ勢で、原作は読んでいない。『チェンソーマン』が最初のアニメシリーズになった2022年ごろは、まだアニメを観始めたごろ。それまでの20年くらいの間は、アニメ作品はほとんど観ていなかった。自分はアニメ独特の萌え文化が得意ではない。若い頃はアニメが好きでよく観ていたのだけれど、2000年代くらいからアニメといえば萌えばかりになってきてしまっていた。それくらいからアニメ全般を観ないようになってしまっていた。それが2020年のコロナ禍中、訝りながらも子どもと観た『鬼滅の刃』で、自分の中のアニメブームが再燃された。話題作はとりあえず観ておこうと何気なく観た『チェンソーマン』のアニメ。そのクオリティの高さに釘付けになった。

アニメの『チェンソーマン』は、ストーリーは思わせぶりだけど、それほど深いものはない。けれど、演出が病的に細かい。実写を意識した細かい芝居や、日本を舞台にした今まで見たこともないようなアクション描写や、やけに殺伐とした雰囲気も良かった。中でも牛尾憲輔さんの劇伴が、全編テクノなのがカッコよかった。ただ、このような高いクオリティだったら、なかなか続編はつくれないだろうなとも思っていた。

それから『チェンソーマン』を制作したMAPPAの過去作品を遡っていった。まずは『進撃の巨人』、その次は『呪術廻戦』と、古参のファンからすれば今更と呆れられそうな遅咲きデビューとなった。それでも技術的なクオリティの高さは『チェンソーマン』がダントツだと思った。でもそれは画面のつくりについてのこと。内容的には『進撃の巨人』がめちゃくちゃ深かった。なにゆえここまで制作費をかけて、『チェンソーマン』を凝った映像で仕上げたのだろう。その不可解さも作品の魅力となった。

『チェンソーマン』の原作ファンからは、このカッコいいアニメ版は不評らしい。なぜ評判が悪いのかわからない。原作のテイストと違うとの意見なので、原作を読んだら自分の好みではないのかもしれない。

『チェンソーマン』の続編映画の公開前に、テレビシリーズの総集編が配信された。ネットでは「これこそチェンソーマンだ!」と絶賛の声が飛び交っている。以前のアニメ版とそれほど違うのか。総集編を観るのが怖くなったが、映画版を控えておさらいのつもりで恐る恐る観てみた。……自分にはその違いがわからない。演出とかの細かいところは、結構気がつく方だけど、これがまたよくわからない。演技が再録されたり、使用音楽が変更になったのはわかる。でも基本的な作風の改変はされていないので、気になるほどの違いはないように思えた。総集編なので、時間を割愛するため説明台詞が追加されたり、音楽の使われ方もコメディタッチになった。要するにわかりやすくなったということ。『チェンソーマン』は尖った作品だと思っていたけれど、原作ファンが求めているものは、どうやらあまりかっ飛んだ演出ではないらしい。自分としては、普通っぽくなった分、ちと物足りない。だからといって総集編も否定はしない。総集編もアニメ版も一長一短で単純に優劣つけられないものだった。

さて話題の劇場版『チェンソーマン レゼ編』。以前から原作勢のいうレゼというキャラクターをやっと知ることができる。『チェンソーマン』は、観客を選びそうな独特の世界観だと思っていたが、映画は予想外の大ヒット。ヒットする映画というのは一概にストーリーがわかりやすい。きっと映画版の『チェンソーマン』は、自分が思っているよりもずっと単純明快な、人なっつこい作品なのかもしれない。出向いた映画館にはオタクっぽい人もいれば、地雷系ファッションの人もいる。こんなエロと暴力のアニメなのに親子連れもいる。親子でこのアニメを観るのは気まずいな。

映画が始まって、『チェンソーマン レゼ編』があまりにコメディなので面食らった。テレビシリーズのハードボイルドなテイストはそこにはなく、コテコテ王道のコメディ要素の強いアニメになっていた。今回は原作に寄せていると評判の劇場版。これが原作漫画のテイストなのか。ちょっと作風が変わったのには驚いたけど、これもそんなに嫌いじゃない。実は自分は映画を観る前に、牛尾憲輔さんのサントラを聴いてしまっていた。レゼ役の上田麗奈さんがロシア語の歌を歌っている。そうかレゼはロシア人なのか。事前に「主題歌の悪魔」こと米津玄師さんと宇多田ヒカルさんの主題歌『JANE DOE』も聴いてしまった。もうどんな映画か観る前からわかってしまった。

自分はすぐさま『チェンソーマン レゼ編』のプロットを推測した。レゼはロシアの秘密工作員で、人間兵器のチェンソーマンことデンジに、ハニートラップで懐柔を迫るか、暗殺をしに接近してくる。レゼが色仕掛けのテクニックを披露するまでもなく、デンジはあまりに純情BOYすぎて面食らう。チョロすぎるデンジのことをレゼはだんだん可愛くなってしまう。だけど大団円は互いに殺し合い。シリーズものだから、勝負の結果もあらかじめ決まっている。

昭和時代、テレビでは日中から夕方にかけて時代劇のドラマが放送されていた。『水戸黄門』や『遠山の金さん』、『暴れん坊将軍』みたいな作品たち。それらは連続ドラマとはいえ、たいてい1話完結もので、途中を見逃したとしても話がわからなくなることがないつくりになっている。脚本家など、制作側の作家のローテーションも組みやすい。そんな時代劇の主人公は、たいてい権力者や必殺技がある特別な存在で、クライマックスでは悪漢と大立ち回りのあとにその本性を明かす。見事悪人を成敗することにカタルシスがあるというもの。

自分が小学生のころ、お年寄りが時代劇を観ていることをからかったりしていた。毎日同じものを観ているよと。それらはたいてい放送開始40分くらいで大立ち回りが始まって、その5分後には主人公の素性が明らかにされ、悪人含めてすべての登場人物が主人公にひれ伏して一件落着。毎回同じことの繰り返し。もっと刺激的な作品を観ればいいのにと。

若かりしころは生活のルーチンの大切さなんて考えたこともなかった。毎日『水戸黄門』を観ているおじいちゃんおばあちゃんたちは、日々のルーチンの中に時代劇鑑賞も組み込まれている。ルーチンがしっかり決まっているということは、きちんとした生活を送っていることの証明。ではその連続時代劇ドラマが毎回同じでつまらないのかというと、そんなことはない。自分だって子どものころ、『必殺』シリーズが大好きだった。大切なことは、たとえ決まったひな形でストーリーが進んでいたとしても、そこで展開するプロセスは毎回違っているということ。ドラマのひな形のパターンは限られている。なんでも40パターンに満たないと、シナリオライター養成学校に通っているとき教わった。奇をてらってそれらのパターンから外れた、奇想天外な物語をつくったとしても、観客はそれにはついていけない。万人に通じる面白い作品にはなっていかない。一定の人に届くかどうかわからないような作品では、つくっても商売にならない。決められたパターンでいかに遊ぶか。斬新すぎるものは、人は好まないということが、ずっと昔からすでにリサーチされている。

もしかしたらアニメシリーズの『チェンソーマン』は、ちょっと一般的には斬新すぎた感覚だったのかもしれない。それに引き換え、劇場版『チェンソーマン レゼ編』は、90年代に流行った映画のひな形をイメージさせられる。それこそ岩井俊二監督の『打ち上げ花火』や、リュック・ベッソン監督の『レオン』、韓国映画の『シュリ』の遺伝子も見えてくる。探せばもっとオマージュ作品があるだろう。どれも自分が若者だったころ、夢中になった映画ばかり。

自分はアクション映画が好きなくせに、その場面が連続すると睡魔に襲われるくせがある。『レゼ編』でアクションシーンに入った瞬間、もう物語は終わりなのかと思ってしまった。そこで牛尾憲輔さんの劇伴が助けになった。映画のクライマックスのバイオレンス・アクション場面は、まるでテクノのライブのよう。テクノ好きな自分は、このクラブっぽい音作りに胸踊ってしまった。

ひと昔前は、日本のアニメファンは男性ばかりだった。今となっては若い女性が多くファン層を占めている。男性ファンが多かった時代の名残りで、アニメは男性に都合の良い女性しか登場しないよいところもあった。日本のアニメは、そこはかとなくミソジニー臭を放っている。男性目線で描かれた作品は、大抵女性の声が高い。キンキン声で喋ってる。いわゆる豚声というやつ。『チェンソーマン』に登場する女性陣も概して声が高い。男性目線で描かれた作品なのがよくわかる。ちなみに女性陣の声が低く演じられているのは、『進撃の巨人』や『呪術廻戦』。これらはアニメファン以外の人が観ても、女性描写にあまり違和感がない。日常で女性が高い声で喋っているときは、外行きの営業をしているとき。心を開いていない緊張した状態でもある。

いくら登場人物が記号的とはいえ、人の心を動かせられなければ、観客から作品が愛されることはない。『チェンソーマン』に登場する女性キャラクターは、男性好みのする男性に都合のいい女性像。それこそ恋愛シミュレーションゲームの女性のような、現実には存在しない人物。これは主人公のデンジの目線で演出している意図がある。ある種妄想世界。レゼというキャラクターは、はなから実在しないようなアニメ特有のキャラクターではある。それをハニトラのために遣わされた秘密工作員ということになれば、そのあざとい言動にすべて理由がつく。『チェンソーマン』の、何気ないリアルな細かい動きの芝居も相まって、この現実味のないレゼというキャラクターに説得力がついてくる。レゼを演じる上田麗奈さんの演技もすごい。このあざとかわいい演技をされたら、たいていの男性は傾いてしまう。ただ、やっぱりレゼみたいな人が現実に自分の周りにいたら、かなり警戒して距離を取りそう。レゼ、自分は登場した瞬間からかわいいより怖かった。

レゼはロシア人という設定らしい。最近のエンターテイメント映画では、主人公が戦う敵の国名はぼかす風潮がある。『トップガン マーヴェリック』だって、どこの国と戦っているのかわからなくしている。それが旧ソ連時代のロシアとなると、具体的な国名が出てしまう。大丈夫なのかしらといらぬ心配をしてしまう。『チェンソーマン』だって、これから世界配給していくだろうに。そのラインナップにロシアは含まれているのだろうか。

映画では主人公のデンジがロシア映画を観て感動する場面がある。上司のマキマさんとのデートの場面。一日中映画を観まくるというデート。自分も映画好きなので、若い頃は映画のハシゴはしたことがある。でも1日にせいぜい3本映画を観るのが精一杯だった。デンジとマキマは、涼しい顔して1日に5本も映画を観たおしていた。並大抵の体力の持ち主ではないことがわかる。そこでマキマさんが映画談義をするのが興味深い。映画の分析をしているのだけれど、いま我々が観ている『チェンソーマン』も映画だということ。マキマさんはいまそこにいる『チェンソーマン レゼ編』の映画をどう分析するのだろう。なんだかメタ過ぎて、訳がわからなくなる。

デンジとマキマがロシア映画に感銘を受けるのは、これから出会うレゼとの伏線であり、マキマが仕掛けたものなのだろう。社会主義の国ロシアでは、文化がなんとなく自己犠牲的でもの悲しい。それこそ子ども向けにつくられた、かわいい『チェブラーシカ』のテーマ曲だってもの悲しい。レゼが口ずさむ民謡みたいな歌は、実在するものではなくこの作品のためのオリジナル曲とのこと。ロシアっぽいメロディが悲しい。レゼの最期の場面で、彼女の血が円を描いて広がっていく。日本に攻めてきた敵国の工作員の血で日の丸を描いていくグロテスクさ。これは戦争映画だったんだと、ゾッする。この映画は、やっぱりロシアでは公開が難しそう。

自分の子どもが言っていたが、『チェンソーマン』が好きだと言っている子は、変わった子が多いらしい。自分も『チェンソーマン』は好きだが、自分のように雑食で、いろんなものが好きだという人はどうやらそれに当てはまらないらしい。『チェンソーマン』一途の変わった子たちも、原作にテイストが近い今回の映画版の方が、アニメシリーズのテイストより好みなのだろうか。デンジの師匠・岸辺さんが「まともな奴が先に死ぬ」と言っていた。そんな岸辺さんも組織で働くことができるのだから、その辺はまともだったりする。

引きこもりや鬱になって、「自分にはものごとに興味を示す心がなくなってしまった」と言うことを聞く。その治療のひとつに、規則正しい生活を心がけることを勧める医師がいる。心の病気になったら、まずは何かしようではなく、毎日ご飯をちゃんと食べて風呂にも入り、たっぷり寝ることが大事らしい。日々のルーチンが固まってきてきたころ、感情が戻ってくる。まともな生活が余裕をつくる。自分も他人も大事にできてくる。それが心の回帰なのかもしれない。

デンジは物語の初め、やっと雨露をしのげそうな物置みたいなところで暮らしていた。友人はポチタだけ。イマジナリーフレンドの象徴。それがマキマに拾われ、アキやパワーと出会い、同僚という同居人であり友人ができる。毎日の生活ルーチンがきちんとしてくると、自然と自分を大事にしていることになる。他者を気遣う余裕も出てくる。だから恋ができる。感情がなくなってしまった人が、社会性を取り戻すプロセスを踏んでいる。「どこかに逃げよう」とレゼがデンジに持ちかける。間に長いバトルが入るのは少年マンガの宿命。その間、物語自体は停滞する。「俺たち強えからよ。結構いいとこまで行けるかもよ」その戦いの後のデンジの言葉が感動的。すべてに受け身だった人が、自分の意思を相手に語る。それが破滅の逃避行だとしても。

原作者の藤本タツキさんは学生時代、引きこもりだったらしい。デンジやレゼが、学校に行きたかったと言うのも、普通の生活への憧れの表れ。もし友だちがいれば学校に行けたかもという、作者の声なのかと思えてしまう。そんな作者が、一念発起して美術大学へ進学して漫画家へなるのだから、才能よりもその努力の方に泣けてくる。昔は漫画家などの特殊な才能を持つ人は、多少社会性がなくとも許されるところがあった。現代は、ある程度のコミュニケーション能力がなければ、才能があっても仕事にならない。多様性社会というのは、なんでもありの世の中ではない。最低限の社会的共通言語は不可欠な社会。それは厳しいようでも、実はそうでもない。ある程度の共通言語を身につけていれば、なんとかなっていくのも事実。個性を抑えることで、自分らしく生きていくことができていけるという矛盾。要するに、まともなのがいちばん生きやすいということ。

『チェンソーマン レゼ編』は、単純にワクワクしたり笑えたり、手に汗握ったり、切なかったりと、さまざまなエンターテイメント要素を含んだまともな映画になっている。観客を選ぶようでいて、かなり王道作品。それは90年代くらいまでのハリウッド映画のよう。『チェンソーマン レゼ編』は、日本での目標の興行成績額は公開3週目で突破したとのこと。この作品がこれから海外でどう受け入れられていくか、観客の反応とかの動向が楽しみなところでもある。

 

 

 

 

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