『メアリと魔女の花』制御できない力なんていらない
スタジオジブリのスタッフが独立して立ち上げたスタジオポノックの第一弾作品『メアリと魔女の花』。先に鑑賞した周囲の人たちの感想はあまり芳しいものではなかった。しかし、自分はこの映画、とても面白く観てしまった。
アメリカのアニメのアカデミー賞と言われているアニー賞でも、脚本賞にノミネートされていた。海外で評価されるならそれほどヘンな作品ではないのではないかと、百聞は一見にしかず。子どもたちと観てみた。ウチの子達は、メアリが出てきた瞬間に彼女のことが好きになっていた。もう、メアリと一緒に魔法の世界に冒険するしかない!
予告編を観る限りでは、以前のジブリアニメで見たような映像がいっぱい。それが既視感というのではなく、あの映画のあの場面のあのカットと具体的に浮かんでしまう。まったく同じ絵柄のパッチワークに思える。これはマイナスだ。
ジブリ映画の主題歌といえば、ほぼ無名のアーティストを起用して、オリジナリティある作品に唯一無二の存在となっている。今回は今人気のセカイノオワリを起用して、タイアップしてる。グッズの販売も、スタジオジブリ作品とまったく同じ経路で作られている。日本経済はスタジオジブリと同じものをスタジオポノックに求めている。職人の暖簾分けみたいなものだろう。作品では、過去のジブリの記号はたくさん散りばめられている。でもそれらは今までとは別の解釈で使われている。ジブリと似て非なるもの。
しかしながら感心なのは絵がよく動く。それだけで楽しい。日本のアニメは制作費に予算が乏しいため、いかに絵を動かさず、止まった映像で時間を稼ぐかの工夫がなされている。今、海外のアニメで贅沢な制作費とアイデアあふれる作品が多いなか、わざわざ貧しい作品を選んで観たいとは思わない。この『メアリと魔女の花』は、キャラクターが止まっている場面がないくらい、枚数を使って演出されている。赤字覚悟の挑戦だ。
かつて宮崎駿監督は『ハウルの動く城』ぐらいの頃から、スタジオジブリの幕引きについて語っていたような気がする。制作費と制作期間のかかるアニメ映画は、労力の割には採算が合わないとのこと。宮崎監督の告発で、今でこそアニメーターの低待遇は一般的な常識になったが、それはもう20年以上前から続いていたこと。アニメや映画の職に就くということは、人並みの人生は遅れない覚悟したと同義。宮崎監督は「退職金が払えるうちにスタジオの暖簾を降ろすべきかも」などと言っていたが、それは冗談ではなく切実な言葉だったのだ。日本で一番稼いでいるはずのスタジオジブリが経営難だったというのはなんとも嘆かわしい。
自分は日本の映画をここ数年、避けて通るようになっていた。メディアの政治介入はここ近年常識となっていたし、アニメというのはプロパガンダに真っ先に利用されるもの。疑わしきものには近づかない。そう決めたら、映画ファンとして心がラクになった。やっぱり何かあるのだろう。
メアリは「魔法なんていらない!」と、全面的に魔法を否定する。それが今までのジブリファンから反発を買ったらしい。『ハリー・ポッター』でも、世界を征服できる杖を手にいれたハリーは、あっさりその杖を捨ててしまう。この作品をちゃんとみていれば、魔法の概念は今までのファンタジーの解釈と違っていることがわかるはず。『メアリと魔女の花』での魔法は、科学や経済と同じ。魔法大学が夢の国というよりは、カルト集団に見えるのは当たり前。
今までファンタジーで「魔法」という力は、物質社会で心を無くした現実社会で、その反対の神秘的な豊かな能力として描かれてきた。魔法のような目に見えない神秘的な力、スピリチュアルなものを詐欺に利用する事件なんて日常茶飯事。でもこれからいろいろ研究が進んで、そのスピリチャルなものも科学で解明できる時代がくるのではと思っている。神の存在も科学で証明できる時代。そうなると魔法も科学も宗教も繋がって、一つの同じジャンルとなっていくだろう。
100年先か200年先かわからないが、後世の人たちが「21世紀の人たちは、お金を積めば幸せになれると本気で思ってたらしいよ」「え〜ホントに? 原始的だね〜」なんて言われてるのが目に浮かぶ。
魔法が科学と同義語ならば、人がコントロールできないオーバーテクノロジーのひとつとなる。制御できない力を利用しようとすれば、その力に取り込まれて滅亡へと向かうのは、大人よりも子どもの方がよく知っている。大人たちは欲に駆られて、人の心を無くしたサイコパスとなっていく。現実の日本では原発の再稼働なんかがそれ。
『メアリと魔女の花』の良いところは、「間違った判断をした大人」と「子ども」との戦いになっているとこ。非力であるはずの子どもメアリが、いかに悪い大人と対抗していくか。普通に考えたら勝てるはずはない。スリリングな展開だ。助言をしてくれる大人はいるが、実際に手を貸すことができない。メアリが自分の力で活路を見出さなければならない。大人は頼りにならない。もう魔法は神秘的な力ではない。一番大事なのは自分の感覚に耳を傾けること。
海外ではディズニー配給となる『メアリと魔女の花』。映画は世界を向いている。欧米が舞台になっていても、日本のアニメは、やっぱり描いている人の動きに似る。西洋人の体型をしていても猫背だったり、なんだか不思議な人間の動きになる。でもそれがファンタジー性を生み出す。西洋人みたいな日本人。
様々なファンタジーの系譜をたどりながら、次のステップへ踏み出した作品『メアリと魔女の花』。これからのアニメーション映画のあり方や、ファンタジーの方向性がどうなっていくか。決してつまらない方へしぼまないで欲しい。かつてのジブリ作品のように『メアリと魔女の花』も、果たして何世代も観られ続けるウェルメイドとなっていけるのだろうか?
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