『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』 たどりつけばフェミニズム
先日、日本の政治家が、国際的な会見で女性蔑視的な発言をした。その政治家は以前からも同じような発言ばかりしていた。今までは国内では許されていた。多様性を認めていこうという国際的な流れに逆らうような差別的な発言。世界は受け流すはずもない。この発言に対しては、国内でもSNSを中心に大炎上。国際問題にもなりかねない暴言。時代錯誤な発言となっている。
発言した政治家は、おじいちゃん。本人からしてみれば、なぜそれほど周りが騒ぐのかさっぱり意味がわからない。他の日本の偉いおじいちゃんたちも、皆目検討もついていない。問題がわからないことが問題。
日本のジェンダー意識の低さは、世界的にもワーストクラス。先進国では最下位レベル。男尊女卑思想に留まらず、差別に対する認識もかなり低い。日本での国際的なイベントを前にして、その後進的な部分が世界標準のもとで露呈した。もしかしたらこれはこれで、やっと差別について考え方を改める第一歩になるかもしれない。そうなると、あながち悪いことばかりではない。
「男だから」とか「女だから」とかいう概念は、若い世代になればなるほど薄くなっている。性別の違いよりも「その人らしさ」のほうが大事。優秀な人であれば、男も女も関係ない。今回のおじいちゃん政治家の女性蔑視発言なんかは、20代以下の人からすれば、それこそ「何を言ってるのか、意味がわからない」ことだろう。小学生の娘に「こんなこと言ってる人がいるんだけど、どう思う?」と聞いたら、「え〜、偉い人がそんなこと言うんだ〜」と呆れていた。
最近のヒットする映画の定義として、多様性を意識することが当たり前とされている。それは後付けでテーマを紐つけるのではなく、企画当初から多様性を題材に用いることが必要らしい。人々がエンターテイメントに興じるときは、つらい現実をひととき忘ることが理由の一つにある。生きづらい社会から、理想の世界を夢みたい。その希望を糧に明日も頑張って生きていこうと決意する。エンターテイメントを侮るなかれ、ショービジネスは商売でありながら、人を救う力も内包している。
映画「レディバード』を観て以来、ずっと次回作が気になっていたグレタ・ガーウィグ監督。その新作が『若草物語』だと聞いて、ぴったりだと思った。期待せずにはいられない。グレタ・ガーウィグ監督は、自身も俳優だから確かに美人さん。でも彼女の表情からは、溢れんばかりの知性を感じる。女性が考えると、フェミニズムになる。新しい『若草物語』は、どう描かれていくのだろう。
日本ではこの『若草物語』のリブート映画を、配給会社が力を入れていないのがあからさまに感じられた。ポスタービジュアルも、切り貼り素材の安っぽいもの。なにより『ストーリー・オブ・マイライフ』と、訳のわからない邦題までつけてしまった。これではオルコットの原作『Little Women』のままの方がよほど良い。
昨年、娘の読書感想文のつきあいで、オルコットの原作『若草物語』を読んだばかりだった。今まで何度も映像化された作品だけど、この物語の面白さをきちんと描いた映像作品はまだないと思っている。原作が古典ということと、コスチュームプレイの豪華絢爛の歴史モノとして、それだけで鉄板の企画となる。そこにオールスターキャストで取りかかれば、もう誰も文句は言えまい。名作の映像化にケチをつけたら、それだけでバカにされそうだ。なにせ150年も前の書物。現代の感覚では共感ができないのだろう。でもそれは誤解。再読してみてあらためて『若草物語』が、本当に面白い書物なのだと理解させられた。
映画『ストーリー・オブ・マイライフ』は、大人になった四姉妹の様子から始まる。原作でいうと、二巻からスタート。一緒に観ていた娘が、「これ途中から?」と聞いてきた。間違えてパート2を選んだのではと思ったらしい。「観てればわかるよ」と伝えると案の定、映画は成人した四姉妹を現在として幼少時代を思い返す、時間軸を行ったり来たりする構成になっていた。現在が寒色、過去は暖色で表現されている。
幼少時代は、主人公たちの記憶で描かれているため、成人した俳優たちがそのまま子ども時代を演じている。かつてイングマル・ベルイマンの監督作『野いちご』で、死期を間近にした老人男性が、追憶の旅に出る。彼の子ども時代も老人の俳優がそのまま演じていた。人の魂に老若は関係ない。記憶の曖昧さを映像表現に活かした演出テクニック。それと同じ手法が、この『ストーリー・オブ・マイライフ』にも使われている。
原作の魅力は、たわいない日常の積み重ねにある。よもやま話に花開かせるのは、なんとも女性的な感性。それを映像テクニックを駆使した、ドライな演出で料理するグレタ・ガーウィグの手腕がなんともクール。
主人公の次女・ジョーは原作者オルコットの分身。作家を目指す彼女は、男性の編集者からなかなか認められない。編集者は、「女の主人公は、作品のラストで必ず結婚させなければ、読者が納得しない」と豪語する。冒険も戦いもファンタジーもない『若草物語』の面白さを理解できない。この作品の面白さに気づいたのは、この編集者の子どもたち。おじさんにはわからないその魅力。それでも売れるためにはと、ジョーは作品の中にフィクション=ご都合主義を取り入れていく。今までは過去と現在を、寒色暖色で区別していたが、もう暖色で統一。すべてが希望へと向かっていく。
原作の『若草物語』は、幼少時代を描いた一巻がいちばん有名。でもその一巻の後半から、続編作りますよオーラが作品から溢れ出してくる。なんとも奇妙な雰囲気。執筆途中で、構想が変更されたのがわかる。いわゆる大人の都合。当初は一巻だけで練られていた物語が路線変更。きっと作品が好評だったのだろう。思わぬヒットで、続編の依頼がきてしまった内情が伺える。ただ希望に満ちていた幼少時代から、彼女たちが成人して、女性の経済的な自立を突きつけられ始めると、なかなか世知辛い物語となってしまう。
今回の映画化では、原作の新解釈がとてもうまくいっている。『若草物語』の二巻以降のやるせない物語展開も、過去と現在を交錯させる構成で、暗い気分にさせない工夫がなされている。別れ別れになった家族が集まるには、冠婚葬祭が、最も理由として自然。時間軸をいじることで、四姉妹が揃う場面からブレることがなくなる。『若草物語』、『Little Women』は、四姉妹の人生の物語なのだから。
グレタ・ガーウィグ監督は、オルコットが現在も生きていたら、どんな物語を描きたかっただろうかと想像して、脚色したらしい。フェミニズムが特殊な思想ではなくなった現代社会。女性の経済的自立のあり方は、結婚だけに留まることはない。これから我々が臨もうとする多様性のある社会は、希望と可能性のあるものであって欲しい。
ジョーたち四姉妹のお隣さんの御曹司ローリーが気にかかる。リッチでハンサムな彼は、ことあるごとに四姉妹に親切にする。フェミニストを150年前から身につけている紳士に見える。でもこの映画では、それこそジョーにいちばん気があるような素振りを見せつつも、この四姉妹の誰でもいいからゲットしたい願望の方が先立って見えてくる。それほど洗練された男でもないようだ。原作や多くの映像作品では、なぜジョーがローリーを選ばないのか、いささか不可解だった。この新解釈グレタ版「若草物語』は、よりわかりやすくなった。悪いのはジョーじゃない。
フェミニズムを特別なものとして説いてしまう男性も多いことだろう。ローリーの存在は、先見性がありつつも、なんちゃってフェミニズムの悪例にもなりかねない。もともと人権を考えれば、自ずとつながるのがフェミニズム。生きづらさの象徴。ローリーの失敗に流されないよう、世の男性たちも自分を疑う視点は必要だ。酔ってはいけない。とどのつまり、誰だってどこかでマイノリティに属するもの。差別の意識を持つことで、自分自身も救うことになる。
『ストーリー・オブ・マイライフ』はジョーのイメージを、現実的な視点で覆してくれた。今までジョーは、誰にでも好かれる魅力的な、完全無敵の女性として描かれていた。でもこの映画ではそうでもない。人によっては好かれもしないし、特殊な存在でもない。平凡な人としてわかりやすい存在。芸術的な感性に恵まれた四姉妹ではあったけれど、特別な人生は誰も送ることはない。むしろ本当の幸せは、特別な人生ではないということを、映画は語ろうとしている。それが現代的な考え方。
古い原作を掘り起こしてリブートするとき、果たしてそれが今作る意味があるのかどうかを見出せなければ、そのリブートは失敗する。現代と過去をピッタリつなげる作品の根幹があるか。作品を描く動機として、いちばん問われなければならない問題だ。
映画観賞後、ジワジワとこの映画の面白さが伝わってくる。一気に観せる勢いある情報量。これなら男性も面白く観れる。そして150年前、オルコットが抱いた人生の不安を、現代の我々も自分ごととして感じることができる。時代を超えて通じるもの。問題は今も昔も大きくは変わっていない。今後我々は、差別とどう向かっていくか。いつかフェミニズムも、当たり前の過去の思想となるだろう。生きづらさも何らかの形で受け入れられ、対処策が見つかると信じたい。
きっとこれからも差別は無くならない。でもその感情と共生する、コントロールする術は見つかっていくだろう。そんな社会は、頭のかたい老人ではなくて、若者しかつくれない。これから若者が活躍する未来が来たらなによりだ。そんな社会になれば、さぞかし楽しいことだろう。
過去の古典から、未来を感じるとは。なんとも映画って面白い。
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