『パブリック 図書館の奇跡』 それは「騒ぎを起こしている」のではなく、「声をあげている」ということ
自分は読書が好き。かつて本を読むときは、書店へ行って、平積みされている新刊や話題作の中から、気になる本を選んで購入していた。本にかかるお金もバカにならない。本を買ったとしても、一度読んだらそのままで、再びページを開かないこともある。もしかしたら、買っただけで一度も読まない本だってある。これでは本の山で部屋がいっぱいになってしまう。本は意外と重い。床も凹んでしまう。
10年前の震災を経験をきっかけに考えが変わってきた。自分の中の所有欲について。ひとたび災害が起これば、後生大事にしていたコレクションも一瞬にして無くなってしまう。もし自分が死んでしまって、コレクションだけが残ってしまったら、その価値がわからない人からすれば、困ったゴミの山でしかない。ミニマリズムが流行るのも当然。もともと物を持つ楽しみを持っていた人たちが、物を持たない生活を模索しはじめた。いかに厳選して、心を卑しくせず、身軽に豊かに生きていくか。そうなると本棚に溢れる本の山は、旧世代的なサンクチュアリ。
そんなこともあってか、自分は図書館利用が多くなった。考えてもみれば、これだけの本がタダで読めてしまうなんて、鼻血が出るほど興奮してしまう。本を借りる期限も2週間というのもいい。返す期限があるからこそ、その間に読まなければとなる。自然と読書量が増えてくる。
図書館には、貸出用のDVDやCDもある。話題作ならば新作も揃えてくれる。観たい作品があるなら、まずは図書館を探してみるのもいい。自分の地元の図書館では、数年前まではレーザーディスクも扱っていた。著作権もあり、貸し出しはできないが、視聴ブースでヘッドフォンで鑑賞できた。映画のレンタルや配信は、最近作こそは豊富だが、20年以上前の作品となると、なかなか在庫が揃っていない。今どこでどうやったら観れるのだろうかとういう作品が多い。レーザーディスクという旧世代のフォーマットだからこそ、それが反映していた頃の作品が多く揃えてあった。
子どもがまだ小さかった頃は、休日に一緒に図書館へ行くことも多かった。児童書コーナーにお伴する中、「そういえばこの有名な児童書、読んだことなかったっけな」と、あらためて児童文学を読むようにもなった。名作とされている児童文学は、時代を越えて人間らしい生き方を謳っている。100年前の作品でも、今抱えている社会問題と同じ事柄の警鐘を鳴らしている。理想の社会像というのは、今も昔も変わらない。
うちの子がまだ幼稚園生だった頃、読みたい絵本があるが、タイトルがわからないということがあった。幼稚園でみかけた絵本で、もう一度読みたいとのこと。でもタイトルがわからなければ探し用がない。検索情報の少ない中、図書館司書さんに聞いてみる。「それ、どんなおはなしだった?」と子どもに聞いてくれる。子どもは、たどたどしくその物語を説明する。図書司書さんは根気強く質問して、その本のタイトルと作者をパッと言い当てた。晴れて我が子は、自分が読みたい本にたどり着けた。司書さんすごい!
どんなにネット検索が進化しても、人の感受性による知識や、本に対する愛情は、デジタルでは伝わらない。文化は人によって生まれ、人によって受け継がれていく。図書館司書さんの重要性をつくづく感じた。有資格者なのに待遇が悪い職業という印象が強い。近代社会は文化を軽んじている。人が人らしくあるためには文化が必要。それがわからない社会なら、やがては自滅の道を辿るだろう。
児童書コーナーで、ふと子どもとはぐれてしまった。おじさんがひとり、早足で我が子を探している。気づくと図書館司書さんたちが自分を見ている。何も悪いことをしていないので、気のせいだと思った。我が子を発見して声をかけた瞬間、司書さんたちの緊張が切れたのを感じた。「なんだ、パパさんか」って。「そうか、もしかして今、自分のことを不審者だと思ってました?」 状況に気づいたとき、ちょっと傷ついた。小綺麗にしてる不審者だっている。公共機関で働く図書館司書さんたちは、どんな人が来るかわからない無法地帯で働いている。ただ本が好きなだけでやっていけるような仕事ではない。
以前読んだ伊藤詩織さんの本『BLACK BOX』の中で、「生まれてはじめて痴漢に遭ったのは、小学生のとき図書館だった」という記述があった。図書館は勉強をするために行くためのところだとばかり思っていたが、実際はそればかりではない。行き場のない人たちが、時間を潰すためだけに集まってきているかもしれない。そこでは、明らかにホームレスや、精神疾患を抱えているような人たちにも遭遇する。志の高い人と、社会からはみ出してしまった人たちが同居する場所。集まる人々の目的はそれぞれ。図書館は格差社会の縮図のような場所。
映画『パブリック 図書館の奇跡』は、監督製作主演のエミリオ・エステベスが、新聞記事から着想して脚本を書いたという。実話を元に描いたというよりも、ひとつの社会問題を元に、エンターテイメント作品に落とし込んだフィクション。この映画で起こることは、いつどこの国で起こっても不思議ではない。もちろん今の日本でも。映画『パブリック』は、格差社会に対する問題提起とシミュレーション。
映画の舞台はシンシナティ。大寒波を迎えようとしている。日頃図書館には、暖を求めにホームレスたちが通っている。エミリオ・エステベス演じる図書館司書スチュアート・グッドソンは、毎日足蹴く通うホームレスたちともすっかり親しくなっている。図書館が閉館になると、ホームレスたちも館外へ追い出されてしまう。一番寒い夜中を外に追い出されてしまうことになる。そのまま凍死するホームレスもいる。行政が用意したホームレス収容シェルターも満杯。大寒波が予想される夜、行き場のなくなったホームレスたちは、「図書館を開放してくれ」と居座る行動に出る。外に追い出されてしまったら、そのまま死んでしまう。スチュアートは、彼らを追い出すことができず、共に図書館に籠城することを選ぶ。いつしかスチュアートは、騒ぎを起こした首謀者に祭り上げられてしまう。
政治家や国家権力、マスコミを巻き込んで、この籠城騒動は大事件になっていく。政治家は売名行為に便乗しようと、籠城ホームレスたちを社会悪として制圧しようと試みる。国家権力の代表の交渉人も駆り出され、特殊部隊の出動要請までしてしまう。マスコミは視聴率欲しさにセンセーショナルに報道し、ホームレスの籠城をテロ活動のように演出して、市民感情を煽ろうとする。そもそもホームレスたちは、凍えて死にたくないから、その日の暖が欲しいだけ。ささやかな望みでしかない。このままだと特殊部隊の暴力で皆殺しにされてしまうか、外に追い出されて凍死するかしかない。どちらにせよ待っているのは「死」。ホームレスという社会的弱者は、生きる権利さえも奪われてしまう。このままだと図書館が戦場になってしまう。
果たして貧困は悪なのか。人生の階段をちょっとしたことで踏み外したがために、真っ逆さまに落ちてしまうことがある。映画に出てくるホームレスには退役軍人が多い。国のために戦ったのに、この扱いはひどいと口々に語る。日本で言えば、企業戦士として必死に働いたのに、ひとたび鬱になって働けなくなったら、解雇になってホームレスになってしまったようなもの。そうなると明日は我が身。貧困と精神疾患はセットでついてくる。貧困のあまり、頭がおかしくなってしまうことはある。治安が悪いのは、社会構造の根本がズレていることの現れ。臭いものに蓋をするのは現実逃避であり、格差問題を肥大化させる原因でもある。
エミリオ・エステベスの個人映画といってもいいくらいの本作。アレック・ボールドウィンやクリスチャン・スレーターなど、90年代のアイドル俳優たちが大勢出てるのも懐かしい。地味でシリアスな題材の映画なのに、配役が豪華で暗くならないところがいい。なぜか、おじさんのお尻がいっぱい出てくる映画。
おじさんのお尻ばかりということで、ホームレスには女性はいないのかと、ふと気になった。貧困で行き場のなくなったおじさんたちは、図書館のような公共施設に逃げ込むことができるかもしれない。でも女性のホームレスが男たちに紛れたら、性的暴力を振るわれる危険性がある。女性のホームレスは、別の方法でその日暮らしをしているのかもしれない。それはまた別の深い問題。
映画を観て思うのは、ホームレスの人たちも皆、けっして現状に満足しているわけではないということ。チャンスがあれば、人生をやり直したいと思っている。仕事があれば働きたい、人間らしい生活がしたいと願っている。不本意にも社会からドロップアウトしてしまった人たちを、安易に排除する世の中は健全ではない。このコロナ禍で、誰でも明日から社会的弱者になりかねない世の中となってしまった。ただただ制圧され排除される弱者に、誰もがなってしまうのではという恐怖がある。将来に不安ばかりがつのるというのは、自己責任で済まされる問題ではない。それに実際には、映画のような奇跡につながることは難しい。
現実はシンプルで、誰もが「人間らしいささやかな幸せ」が欲しいだけにすぎない。ちっとも贅沢なことは求めていない。弱者の声は、なかなか社会に届かない。コロナ禍からその後に向けての近代社会で、どうサバイブしていくかが、今後最大の課題である。
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