*

『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』 自由恋愛のゆくえ

公開日: : 映画:ア行, 映画館

スティーヴン・スピルバーグ監督の『インディ・ジョーンズ』シリーズが日テレの『金曜ロードショー』で放送された。『インディ・ジョーンズ』シリーズは1980年代に三作製作され、のちにもう一本『クリスタル・スカルの王国』が2000年代になって製作された。なんでもシリーズ五作目が来年公開に向けて準備中とか。スピルバーグ監督と主演のハリソン・フォードの二人とも高齢になったので、アクション・アドベンチャーであるこのシリーズにどこまで対応できるのか、楽しみでもあり不安でもある。

このシリーズが全盛の頃は、自分もまだ幼かった。初期の二作『レイダーズ』や『魔宮の伝説』は、それこそ当時の『金曜ロードショー』の放送を、眠い目を擦りながら観ていたものだ。今回の放送は、自分の子どもたちと一緒に鑑賞した。自分が初めて『インディ・ジョーンズ』と出会った頃の年齢になった我が子と、昔の映画をまたこの映画を『金曜ロードショー』で楽しむことの不思議。

今回放送された『最後の聖戦』は、公開当時に映画館で観た。現在、TOHOシネマズ新宿のあたりにあった大型劇場。新宿プラザだったか。自分はすでに『インディ・ジョーンズ』シリーズは鉄板と信じていた。当時の友人たちを映画に誘おうとしたら、そのとき流行っていた『ホイチョイ・ムービー』の新作の話ばかりになってしまった。『ホイチョイ・ムービー』というのは、当時日本のテレビで流行っていた『トレンディ・ドラマ』という、ファッションと恋愛を交えたドラマのジャンルの雰囲気を、劇場用映画にして成功していたプロダクションが製作する映画。今で言うテレビドラマの劇場版みたいなマーケティングの流れだろうか。

同じ映画好きでも、ハリウッドの大作アクション映画好きと、ファンション的な日本映画好きとは、なかなか話題が噛み合わない。自分は一人静かに『最後の聖戦』を観に映画館へ足を運んだ。映画館は大盛況。1000人収容できる大型劇場でも席が取れず、前の方でこの映画を鑑賞した。巨大なものがたくさん登場する映画だったので大迫力だった。当時自分の周りにはインディ好きはいなかったが、世の中ではこの映画のファンが多いことを肌で感じた。

『最後の聖戦』は、当時シリーズ完結編と謳っていた。インディの少年時代を今は亡きリバー・フェニックスが演じている。自分はリバーと同年代なので、感慨深いものがある。そして忘れてはいけないのはインディ・パパであるヘンリー・ジョーンズをショーン・コネリーが演じているということ。なんて豪華なキャスティング。

ショーン・コネリーといいえば『007』シリーズの主人公ジェームズ・ボンドのイメージが強い。当時自分はあまり意識していなかったが、この『インディ・ジョーンズ』シリーズは、『007』シリーズの影響を色濃く受けている。オープニングにツカミの大立ち回りアクション場面があって、本編がスタートする。このエンターテイメント映画の流れは『インディ』で定着された。時間を支配する映画という商業芸術は、鑑賞する人の心理状態も視野に入れて製作される。起承転結や序破急など、ドラマ作りの観客が気持ちがいい展開のリズムがある。アクション映画のリズムはスピルバーグの研究の成果だろう。

『インディ』の『007』からの影響は、大虐殺場面の連続と、フリーラブの恋愛描写が似ている。

物語の展開上、名前のないモブキャラの命が、紙切れより軽く失われていく。見ず知らずの人の死には観客は無関心。記号のように人が殺されていく。80年代に多かった描写。その後のコロンバイン中乱射事件のような無差別殺人を助長してしまわないよう、安易に人がたくさん殺される描写は自粛されるようになった。レーティングの度合いで、観客も「この映画はある程度エグい描写がある」と事前に覚悟できるようになった。

インディ・ジョーンは作品ごとにパートナーが違う。冒険の赴く先々で、その場限りの恋愛を楽しんでいる。これは『007』の恋愛観と同じ。当時のカウンター・カルチャーの流れでフリーラブは、カッコいい恋愛スタイルだった。結婚や古い慣習に縛られない恋愛観。それを身をもって実践するヒーロー像に観客や制作者は魅了された。それこそ冒険好きの主人公たちは、その場限りの熱情に身を委ねた。新規探索型の命知らずの主人公たち。ヒーローのアイコン。

ショーン・コネリーが『インディ・ジョーンズ』に重要な役でゲスト出演するのは、尊大なるオマージュ。あの頃の自分にとっては『インディ・ジョーンズ』も『007』も、アクション映画の大道として同列扱いだった。映画表現はオマージュによって研磨され、グレードアップしていく。

フリーラブというのも国や文化によって様々な変遷がある。アメリカの刹那的な恋愛観は、のちの日本にも影響を与える。トレンディ・ドラマの恋愛を煽る描写には、当時焦らされた。その後、死にいたる性病AIDSの蔓延で、フリーラブの概念も塗り替えられた。誰でも構わず身を重ねる主人公像は、カッコイイものではなく退廃的な印象となっていった。倫理観の刷新。

毎回カノジョが違うインディ・ジョーンズ。子どもだった自分も、その恋愛観には感情移入できなかった。「大人になったらわかるのかな?」と思っていたことは、実際大人になってみてもわからないまま。それでいい。

流行というものはいつの時代もある。そこには目先の儲け話のような無責任な価値観もある。それを後先考えずに乗っかっても、その顛末の責任は自分でとらなければならなくなる。流行もあるが、自分の本心は果たしてどこにあるのか。どうしたいと決断を迫られたとき、自分の気持ちに素直になれていたなら、どんな結果が待っていても納得はできる。破滅的な恋愛をするのがヒーローだった時代は、もうとっくに終わっている。価値観は時代によって変わっていく。その変化はとても早いと、『インディ・ジョーンズ』を観ながらしみじみ感じてしまった。

関連記事

no image

『硫黄島からの手紙』日本人もアメリカ人も、昔の人も今の人もみな同じ人間

  クリント・イーストウッド監督による 第二次世界大戦の日本の激戦地 硫黄島を舞

記事を読む

『aftersun アフターサン』 世界の見え方、己の在り方

この夏、イギリス映画『アフターサン』がメディアで話題となっていた。リピーター鑑賞客が多いとの

記事を読む

『推しの子』 キレイな嘘と地獄な現実

アニメ『推しの子』が2023年の春期のアニメで話題になっいるのは知っていた。我が子たちの学校

記事を読む

『1987、ある闘いの真実』 関係ないなんて言えないよ

2024年12月3日の夜、韓国で戒厳令が発令され、すぐさま野党によってそれが撤回された。日本

記事を読む

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』 問題を乗り越えるテクニック

映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』は、日本公開当時に劇場で観た。アメリカの91

記事を読む

『エクス・マキナ』 萌えの行方

イギリスの独立系SFスリラー映画『エクス・マキナ』。なんともいえないイヤ〜な後味がする映画。

記事を読む

no image

『ウォレスとグルミット』欽ちゃんはいずこ?

  この『ウォレスとグルミット』は、現在大ヒット中の映画『ひつじのショーン』のアード

記事を読む

『アメリカン・フィクション』 高尚に生きたいだけなのに

日本では劇場公開されず、いきなりアマプラ配信となった『アメリカン・フィクション』。 最

記事を読む

『オオカミの家』考察ブームの追い風に乗って

話題になっていたチリの人形アニメ『オオカミの家』をやっと観た。人形アニメといえばチェコのヤン

記事を読む

『ドゥ・ザ・ライト・シング』 映画の向こうにある現実

自分は『ドゥ・ザ・ライト・シング』をリアルタイムで映画館で観た世代。それまで人種差別問題は、

記事を読む

『侍タイムスリッパー』 日本映画の未来はいずこへ

昨年2024年の夏、自分のSNSは映画『侍タイムスリッパー』の

『ホットスポット』 特殊能力、だから何?

2025年1月、自分のSNSがテレビドラマ『ホットスポット』で

『チ。 ー地球の運動についてー』 夢に殉ずる夢をみる

マンガの『チ。』の存在を知ったのは、電車の吊り広告だった。『チ

『ブータン 山の教室』 世界一幸せな国から、ここではないどこかへ

世の中が殺伐としている。映画やアニメなどの創作作品も、エキセン

『関心領域』 怪物たちの宴、見ない聞かない絶対言わない

昨年のアカデミー賞の外国語映画部門で、国際長編映画優秀賞を獲っ

→もっと見る

PAGE TOP ↑