『チェンソーマン』 サブカル永劫回帰で見えたもの
マンガ『チェンソーマン』は、映画好きにはグッとくる内容だとは以前から聞いていた。絵柄からしてセックス・アンド・バイオレンスな感じ。これは自分には衝撃が強過ぎるだろうと警戒。満を持してアニメ化が今シーズン放送された。体調の良い日を選んで、第一話を観てみてぶっ飛んだ。テレビシリーズとは思えないハイクオリティの映像。ストーリーはまったく理解できないけれど、その力量は半端ない。鑑賞後すぐさまググってみる。検索に『チェンソーマン』と打ち込むと、「チェンソーマン 微妙」とワードの候補があがる。「微妙」って、これのどこが微妙なのだろう。どうも原作マンガのファンからすると、テイストが違うらしい。なんでも声の芝居がアニメ的な張り上げるものでなく、実写的なボソボソ喋る感じがお気に召さない方が多いとのこと。そこが『チェンソーマン』のクールでカッコいいところなのに。好みの問題か。
日本のテレビアニメは、絵が動かないという偏見が自分にはある。制作予算削減で、作画の枚数を極力減らす。口パクだけ合っていれば、ほとんどのキャラクターは棒立ちでいい。アニメーションなのに絵が動かない。映像の力不足は、声優さんたちの力技の演技でカバーしてもらう。まさに搾取労働のお手本。現場の創意工夫だけで成立しているような、それが我が国のアニメーション制作という印象。
制作費がある劇場作品でさえも、アクションシーンこそは贅沢に動いてみても、会話のみの場面では作画枚数を節約するのは常識。でもこのアニメ『チェンソーマン』は、登場人物たちの何気ない会話の場面ですら、細かい芝居が描写されている。凝ったカメラワークで、飽きさせない工夫が施されている。意識しなければ気がつかないような細かい演出。
どんな時でも、実際の人間は棒立ちにはならない。まっすぐ立っているようでも、微妙にフラついているもの。それが生きている人間。その息遣いまでも、手書きアニメで演出しようとしている。これを実現するには、どれだけ手間暇、制作費がかかっているのだろう。要らぬ心配をしてしまう。
『チェンソーマン』を観ていると、『呪術廻戦』とあまりに世界観が同じなので面食らう。でも両作品は作者こそ違えども、どちらも原作は集英社ジャンプファミリー連載作。アニメ制作スタジオも同じMAPPAが担当している。MAPPAは電通系のアニメスタジオ。自分が好きな『この世界の片隅に』もこのスタジオで制作された。
日本で映像作品を制作するときには、製作委員会が設立されるもの。多くの企業が少しづつ投資して映像作品を作っていく。作品がコケてもリスクが少ない痛み分けとなっているので資金が集まりやすい。出資を募って制作するため、責任者の所在もなくなる。作品がヒットした時は、出資者みなが自己主張して、権利の椅子取りゲームにもなりかねない。出資者も金を出すからには口も出す。ときには作品の企画意図からズレた要望も飲まなければならなくなる。そんなしがらみから解き放たれて、『チェンソーマン』はMAPPAのセルフプロデュース作品。自由もあるがリスクもある。
MAPPAの母体となっている電通は、日本のほとんどのメディアを仕切る大手広告代理店。そこへ作品を作りたいと相談すれば、その制作費を融資してくれる企業も紹介してもらえる。作品は必ずカタチにできる。でもそうなると出資者が作品の決定権をすべて握ることとなる。いつの間にか、クリエーターが作りたかった制作意図よりも、出資者の製品を売るためのCMのような作品づくりが優先となる。制作過程で当初の企画意図とは別物の作品にもなりかねない。作品が作れたのだからいいでしょうと。でもそれでは作品を作る意味がなくなる。『チェンソーマン』のアニメ制作は、その製作委員会マインドをぶち壊す実験も兼ねているのではないか。
日本は先進国の中で唯一、この30年間成長してこなかった。「失われた30年」と呼ばれる時代。バブルが弾けたときも、リーマンショックがあったときも、日本のメディアは常にお祭り騒ぎ。こうしていつしか貧困国家となってしまった。まるでアリとキリギリスのキリギリス。つい2〜3年前まで「日本スゴイ!」とか言っていたのが嘘のよう。それをまにうけて信じている人も多かった。実際に当時「日本ヤバい」じゃないのかなんて言ってみようものなら、総スカンくらいそうだった。でもさすがにコロナ禍においては、現状を誤魔化しきれなくなった。
クールジャパンと謳われた日本のアニメ産業。その20年間でばたばたアニメスタジオが廃業している。とても盛り上がっている産業の状況ではない。作品の企画が通りづらかったのは、融資者が作品を見る目がないのとばかり思っていたが、そればかりではなかったようだ。ただ無い袖は振れないだけのこと。
配信時代になってからNetflixが日本のアニメスタジオを雇って、作品制作を始める流れができた。本当か嘘か知らないが、アニメーターのギャラは、日本で制作するときの10倍以上になったとか。みすみす捨てられてしまうような企画や作品なら、うちがカネを出して作ってもらったほうがいい。そう考える海外の出資者は多いだろう。最近はNetflixも不振になり、日本アニメ業機からは撤退したらしい。それ以前からも日本の長寿アニメの多くは、中国出資で制作されている。昭和の日本が舞台の作品が、ほとんどが海外出資なのが興味深い。2030年には、日本の多くの企業が海外資本の傘下になると言われている。アニメ業界がその先駆的立場にあっても不思議ではない。
『チェンソーマン』は、中学生の子ども世代にも話題になっている。ちょっと待って、あんな暴力的な作品、大丈夫なの? 配信当初、取り扱うチャンネルによってリージョンがバラバラだった。NR評価で誰でも観れると思ったら、かたや18+とほとんど成人向け。今では15+ぐらいに留まっている。
なんでも、YouTubeがTikTokに対抗してつくった、YouTube shortなるもので、『チェンソーマン』のショートムービーが若い子達の間で人気らしい。『早川アキのモーニングルーチン』というショート動画が気持ち良すぎる映像で笑える。どこを切り取ってもクオリティが高いアニメ作品だからこそできる遊びゴコロ。
『チェンソーマン』の音楽も語らずにはいられない。劇伴がテクノなのがいい。自分がテクノ好きなのもある。音楽担当は電気グルーヴのサポートメンバーで、最近すっかり劇伴の人となった牛尾憲輔さん。情感に訴えるというよりは、状況を伝えるような音作り。ドライなのが作品の世界観とマッチしている。最近の劇伴は、メロディがあって叙情的に盛り上げていくような楽曲ではなくなってきている。映像作品の再生機器が、薄型テレビやスマホが多い現代では、低音が響くような演出が届かない可能性もある。デバイスの変化で、さまざまな表現が変わっていくのは興味深い。ちなみに牛尾憲輔さんのソロユニットAgraphは、普段から自分はよく聴いている。音楽がよかったから『チェンソーマン』に乗れたと言ってもいい。
オープニングの映像が、90年代くらいの犯罪映画のパロディなのがまた面白い。自分が若かりしころ夢中になって観ていた映画たち。これを観て、原作者の藤本タツキさんは、アラフィフなのかと思えてしまう。『チェンソーマン』というタイトルから、『The Texas Chain Saw Massacre(悪魔のいけにえ)』がすぐ浮かんでくる。でも藤本タツキさんの年齢は御年30歳。やっぱりこのトンがった作風は、若くなければ出てこない。そりゃそうだ。たぶん藤本タツキさんのご両親が映画好きで、その英才教育の賜物が才能開花のきっかけになったのかと思われる。彼が生まれた頃の90年代の洋画のキナ臭さが、現代の日本でようやく一般的にも伝わるようになってきた。遅すぎるぜ日本!
主題歌を歌うのは、飛ぶ鳥を落とす勢いの米津玄師さん。『KICK BACK』というタイトルは格闘技用語の響きがあるが、実際は謝礼とかディベート、袖の下の意味。なんでもチェンソーのエンジンの反動をキックバックというとか。さすが米津玄師! 謝礼に目が眩んで、身を滅ぼしていく姿を楽しく歌っている。『KICK BACK』のMVも最高。80年代VHSのキッチュな画像で、筋トレに燃える姿のMV。やりがい搾取社会を揶揄したブラックユーモア。MVの主演をする米津玄師さんの狂気がうまい!
『KICK BACK』の歌詞にある「努力、未来、a beautiful Star」のフレーズ。モーニング娘。の『そうだ!We are Alive』からの引用だとか。そういえばそんな歌詞の曲あったあった。20年前にアイドルが放った歌詞は、希望の言葉だったのかもしれない。でもすっかり貧しくなった現代の日本では、呪いの呪文にしか聞こえてこない。
20年前の日本だって、バブル崩壊後だったので不景気だった。メディアはその事実を隠すかのように、こぞって臭いものには蓋をした。日本のヒット曲は、精神論の自己啓発みたいなものや、両親や家族に感謝みたいな遺書みたいな歌ばかりになっていた。「なんだか気持ち悪い」なんて言おうものなら、「うがった目でものを見過ぎ」と指摘されてしまう。自分の感覚がわからなくなり迷走したものだ。でもその感覚はけして間違ったものではなかった。
アメリカでは音楽も90年代からグランジのような暗いものが流行って、生きづらさを歌っていた。日本はその頃から海外作品を取り扱わなくなり、日本独自のサブカルチャーを構築していった。ローカライズと言えば響きがいいが、世界からの文化的鎖国と言ったほうが適当なのが悲しい。
そして『チェンソーマン』は、エンディングが毎回違うのも豪華。毎回、その話の内容にそった歌がかかる。楽曲だけでなく、アニメ映像も毎回違うので楽しい。とても贅沢な作り。本編放送後、YouTubeでそのエンディング動画を配信するので、視聴者が気に入れば何度も再生される。そこで宣伝効果も兼ねて元を取る。放送後の展開も計算された、いまどきの制作スタイル。エンディング参加アーティストが、自分より子どもの方が多く知っていた。時代が変わったなとつくづく実感してしまう。
主人公デンジは貧困の真っ只中。死んだ親が残した借金でヤクザに追われ、安価で汚れ稼業を請け負っている。底辺中の底辺の生活。人間、追い詰められたら心が荒んで判断力がなくなる。何をするかわからない。搾取社会で国民のほとんどが貧しくなった成れの果ては、荒廃した国情の姿しかない。そのシミュレーションがフィクションの世界で描かれている。
かつて昭和のフィクションの主人公たちと、『チェンソーマン』のデンジとを比較してしまう。『男はつらいよ』の寅さんや、『あしたのジョー』の矢吹丈なんかも確かに貧かっった。ホームレスに近い生活を送っていた。孤独で寂しそうだったけど、どこか自由で羨ましくも見えた。でもデンジは違う。現代は生活困窮者を狙った貧困ビジネスがある。貧しい人も放っておいてもらえない。生活相談で間違った相手に身の上話をしてしまったらもう最期。ネギカモ状態で詐欺師の餌食になってしまう。泣きっつらに蜂で、真っ逆さまに堕ちていく。社会は優しい顔をした詐欺師に満ち溢れている。デンジには、そもそも人生の選択肢がない。
搾取に搾取を重ね、命まで狙われるデンジ。チェンソーマンに変身して、今まで自分を苦しめてきた奴らを滅茶苦茶に引き裂いていく! テレビでここまで放送できるのかというくらい残虐な映像が流れる。でもなぜだろう、気持ちがいい。脳内麻薬が分泌している己に気づいてハッとする。この復讐劇を観て、なにかが自分の中で昇華されている。
今の若者世代は、生まれた時から不景気で、我慢するのは当たり前の世の中だった。いくら耐え忍んでも活路は見えず、社会状況は日に日に悪くなるばかり。そんな抑え込まれた感情を、チェンソーマンが代わりに解き放してくれる。エンターテイメントは、鬱屈した気持ちを癒す力もある。大昔、小説や芝居などの物語が、一般的に普及した途端に犯罪が減ったという歴史がある。物語を通して様々他人の人生を知ることができる。辛いのは自分だけじゃないと知っていく。エンターテイメントは、荒ぶる思いの鎮静剤にもなる。ガス抜きといったところ。
『チェンソーマン』の登場人物たちは、皆スタイルも良く、カッコいいし魅力的。でも実際に身近にいたらめんどくさい人たちばかり。殺し稼業をしているのに、飲み会とか普通の若者みたいなことしてるのも、急に親しみやすくて笑える。荒唐無稽な世界観なのに、突然日常的なエピソードが入ってくる違和感。丁寧過ぎるくらいの日常描写が、観客の実際の体験とリンクする。この不思議な感覚はクセになる。原作も未完だし、アニメ版もまだまだ続きそう。今後の楽しみが増えてなによりだ。
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