『ヒックとドラゴン(2025年)』 自分の居場所をつくる方法

アメリカのアニメスタジオ・ドリームワークス制作の『ヒックとドラゴン』が実写化された。アニメの実写化で成功した作品は数少ない。にわかに地雷臭しかしてこない企画。あの名作『ヒックとドラゴン』を汚さないで欲しいとさえ思ってしまう。でも映画が日本で公開されるや否や、自分のSNSは実写版『ヒックとドラゴン』を絶賛する声で埋め尽くされる。ファンアートもどんどん流れてくる。これはただごとではない。それなりに目利きになっている映画ファンたちがこの実写版『ヒックとドラゴン』を褒め称える。これは映画館で観た方がいい作品なのかもしれない。
そもそも自分はアニメの『ヒックとドラゴン』が大好き。うちの子も幼い頃に父の英才教育(?)でこのアニメ映画を観せていた影響で、好きな映画を問われると『ヒックとドラゴン』と答えているらしい。日本では『ヒックとドラゴン』はあまり知られていないので、フェイバリットムービーにあげると箔がつくらしい。
そう、『ヒックとドラゴン』は日本では不遇のアニメといっていい。このアニメは3部作までつくられて、連続アニメシリーズにもなっている。世界的にはヒットしているのだが、なにせ日本では洋画が人気がない。自国の作品ばかりを宣伝して、海外作品をシャットアウトしているかのようにも思える。『ヒックとドラゴン』に関しては、日本の文化的鎖国化をいつも感じてしまう。
なんでもいま、日本では空前の邦画ブームとか。映画『国宝』をはじめ、映画の興行収入のヒットチャートでは邦画のタイトルが占めている。日本のシネコンでは、洋画は公開2周目にもなれば、モーニングショーかレイトショーの観づらい時間帯に1日1回上映と追いやられてしまう。もうシネコンでは洋画は観るなと言われているようだ。そんな日本映画ばかりが並ぶ、国内映画ランキングの中で、ひっそりと1本だけ洋画の『ヒックとドラゴン』がランクインしている。邦画の人気はなんだかメディアの策略的なものを感じるが、その出来レースみたいなランキングの中で唯一の洋画作品が存在しているところがすごい。
自分も『ヒックとドラゴン』を映画館で観てみたい。自分は入場料が高額なIMAXや4DXなどのラージフォーマットでは、あまり映画は観ない。でも『ヒックとドラゴン』なら、ぜひともラージフォーマットで観てみたい。ドラゴンと一緒に空を飛ぶ場面は、ラージフォーマットの映像と音で体験してみたい。自分が『ヒックとドラゴン』を映画館で観ようと思ったときは、日本で公開が始まってから3週間が過ぎていた。ラージフォーマットでの公開などほとんど終わっている。それどころか観やすい日中の上映時間に設定されている劇場すら少ない。劇場での鑑賞を諦めかけたら、近所で1館だけ観やすい時間帯に上映する映画館があった。昼間の上映なので吹き替え版しかなかった。自分は基本的にオリジナルの言語で映画は観たい。でも日本の声優さんの演技がすごいのは知っている。タレント起用ではなく、声優さんメインの吹き替え版ならハズレはないだろう。このまま映画館での鑑賞を見逃がす方が後悔しそうな気がする。
ネットでどんなに好評の映画でも、実際に映画館へ行ってみるとがら空きの閑古鳥が鳴いているなんてことはよくある。今回の『ヒックとドラゴン』も、きっとガラガラだろうと思っていた。流行っていない場所へ行くのは元気がなくなる。ネットでの席の予約はしないで、上映時間間際に映画館へ向かった。余裕だと思っていた。座席を選ぶ段階になって驚いた。予想していた空席数と、予約席の数が逆転していた。自分が観ようとしている回はほぼ満席。こんなことがあるなんて。『ヒックとドラゴン』が人気があるのは本当だった。むしろこんなに人気があるのに、観づらい時間帯に日に1度しか上映しないシネコンがどうかしている。洋画を観させまいとするネガティヴキャンペーンの力すら邪推してしまう。
映画館に入ると、さまざまな客層が集まっているのでなんだか嬉しくなってきた。とりわけ小さなお子さんがたくさんいる。自分のとなりにも幼稚園児くらいの小さな子が座っていた。若いママさんが、2人の小さなお子さんを連れてきている。この子たちはもしかしたら映画館デビューかもしれない。自分のとなりのお子さんの足が自分の足を蹴ってくる。でも何も言わないことにした。小さい子からすると、知らないおじさんから話しかけられるのは恐怖かもしれない。一生の思い出になるかもしれない映画館デビューを、嫌な思い出にさせたくない。ふと、ママさんが気がついてくれて、お子さんの足を退けるように言ってくれた。自分はママさんに「ありがとう」の会釈をした。余計なことは話したくない。今日はみんな映画のことだけ記憶に残して欲しい。
映画が始まる。ヒックがまだドラゴンのトゥースと敵対関係にある冒頭。ヒックの背後でトゥースが潜んでる。小さな観客がそこで「うしろにいるよ!」と、画面のヒックに声をかける。なんて正しい映画の楽しみ方。小さな観客は、ときおりママに「あれオーロラ?」とか聞いたりする。その子がなんとクライマックスに「トイレに行きたい」とママに言う。マジか。でも、トイレに行きたいことをママに言えて偉かった。そこでそそうをしてしまう方が、嫌な思い出になってしまう。ハプニングも映画館で映画を観る醍醐味。映画を純粋に観たいと思っている人たちが集まっているときは、場内に一体感がある。
『ヒックとドラゴン』の実写化にあたって、アニメ版の監督であるディーン・デュボアが再び演出をしている。ジョン・パウエルの音楽も同じ。予告編から伝わる映像も、アニメ版とそっくり。実写化にあたって、オリジナルへのリスペクトが伝わってくる。それならオリジナルのアニメ版のファンしか食いつかないだろう。けれどSNSでは、今回初めて『ヒックとドラゴン』を観たと言う映画ファンの好評で盛り上がっている。原作アニメを知らない人でも楽しめるつくりになっている。実際、オリジナルを知らない方が、鑑賞中のワクワク感がたまらないだろう。これからこの実写版から『ヒックとドラゴン』に触れる人は、無理にアニメ版を予習しない方がいいかもしれない。
映画が始まってまず驚いた。この実写版は、アニメ版と脚本が同じどころか、カメラワークやカット割りまでまったく同じ。アニメ版を完全に実写で再現している。すごい。これじゃあイメージが崩れるどころの話ではない。まったく同じなのだから。キャストもアニメ版のイメージを崩すことはけっしてない。実際に俳優が演じてみせることの説得力がすごい。人の印象とはいい加減なものだ。アニメのキャラクターとその配役がそっくりなように思えてしまう。でもこの実写版と原作のアニメ版とのキャラクターの容姿は、実はあまり似せていない。だけどヒックはヒックだしアスティはアスティになっている。その役者さんの持つ個性を大切にしながらキャラクターに寄せている。映画を観ていると、登場人物たちは間違いなく原作アニメのその人なのだが、ビジュアルを並べてみると全然違う。ここがキャスティングの頭の柔らかいところ。キャラクターの外観を似せるのではなく、その役者さんの内面にある要素を寄せている。とかくアニメやマンガの実写化は、ただのコスプレ大会になりがち。この映画ではそんな楽屋オチみたいな配役はしていない。原作アニメを知らなくても、置いてけぼりには絶対させない。しかもアスティ役のニコ・パークは、『ミッション・インポッシブル2』でトム・クルーズの相手役だったタンディ・ニュートンの娘さん。もうそんな時代になったか。
そもそも映像化されたアニメ『ヒックとドラゴン』は、クレシッダ・コーウェルによる原作小説とはぜんぜん内容が違う。原作小説では人間とドラゴンは戦っていない。原作者は映像化に際して大幅にストーリーを変更されたことには好意的。ヒックが対話によって戦いをおさめていく姿を話のメインに持っていくことで、児童文学では収まらないスケールの大きな物語となっていった。反目し合う異端者同士が、心を交わしていく姿はいつの時代でも感動的。客層に時代や年齢、性別を問わないウェルメイドな作品。原作の大胆解釈が大いなる意味を持つ。コロナ禍以降、世界中で戦争や紛争が絶え間ない。そんな今だからこそ『ヒックとドラゴン』がリブートされる意味がある。まったく同じ演出でリメイクされた映画だけれど、オリジナルのアニメ版の2010年と現在の2025年では、その内容の受け止め方も変わってくる。
2010年の頃なら、分かり合える由もなさそうな相手でも、友だちになれるかもと楽観的なことも言っていられた。『ヒックとドラゴン』も実写版になり、生身の人間がヒックを演じている。当然ドラゴンもリアルにそこに存在する。デザインが同じでも、アニメ版より実写版のドラゴンは怖い。ヒックはドラゴンを殺したくないと思う。それは自分が属するヴァイキングの掟に逆らうことでもある。殺さなければ殺される。それでも殺したくない。その信念のもとに殉じてしまうことだってある。非戦という勇気。アニメ版のヒックは前半ずっと情け無い印象だった。実写版では恐ろしいドラゴンを前にして、殺されても殺さないと覚悟を決めた時点で、すっかりヒーローになってしまった。
アニメの実写化というのは不思議なもの。ファンタジー作品の中にある現実的な部分が強くなってくる。もしかしたらディーン・デュボア監督の演出の狙いも、寓話の中のシビアな現実を感じ取ってもらう意図があるのだろう。ファンタジーは現実逃避の媒体ではなく、現実社会を風刺するものだと。
ひ弱なヒックは、ヴァイキングの村でも疎まれている。そこに居られるのは、ヒックの父親がこの村の長だったからに過ぎない。父親のような勇ましい戦士の素質はヒックにはない。ヒックは、ヴァイキングの常識や慣例的な勇敢さとは別の才能を持っている。これは、これからの時代の多様性の交わり方の見本にもなる。
ヒックはヴァイキングの習慣は合わない。現代でいうなら「引きこもりのヒック」になりかねない。合わない場所でどうやって生きていくか。いじけることはすぐできる。自分らしい生き方を見つけられたとしても、そこでやっていくことは難しい。そもそも基本的な価値観が合わな過ぎる。どうやって自分を下げずにその社会にコミットしていくか。とても難しい題材を『ヒックとドラゴン』は担っている。ヒックの信念が、1人また1人と理解者をつくっていく。それがロールプレイングゲームのようで楽しい。自分の個性を押さえ込まず、相手のためにもなっていく。なんとも理想的な生き方を映画のヒックは指し示していく。なんとも気持ちが良くて楽しい。
ドラゴンのトゥースと心を交わしていく姿は、飛翔の場面で昇華されていく。同じ場面は以前アニメで観ている。でもなんだろう。空を飛ぶ場面で、涙がつーっと流れてくる。歳をとると涙もろくなると聞く。それは人生経験がいろいろな記憶を呼び覚ますからだと、今まで言い張っていた。でもこれはすべて歳のせい。涙腺がただただ緩み切っているだけ。実写の情報というのはパンチが効く。飛翔場面はまさにこの映画の最大のカタルシス。すべてが昇華されていくかのよう。ヒックが自分の信念を確信する場面。
実写化にあたって、ドラゴンの存在は映画導入のきっかけとなり、ひとつのメタファーとなってきた。人間同士のドラマの部分が少し深まった実写版。情けなくて村に居場所がなかったヒックが、どんどんみんなに好かれていく。周りの人たちのヒックを見る目が変わっていくのが嬉しい。映画は他者への敬意も描かれている。他人から本当に好かれる人というのは、自分のやるべきことに奔走していて忙しい。人気取りのご機嫌伺いなんかしている暇はない。ヒックは英雄になりたくてなった人ではないというのも魅力的。人との信頼は、自分の信念があれば自然とついてくる。ファンタジーの力を借りて、人との繋がりを描く。実写になって、その人間関係の心の機微がより一層豊かになった。すでに知っている話なのに、映画が進展していくのが楽しくて仕方がない。この映画は安心して人に勧められる映画。人を選ぶ映画ばかりが多くなってしまった現代で、とても貴重な作品だと思う。
実写版は日本以外の世界的にはヒットしているとこと。パート2も制作が決まっている。アニメ版の三部作を完全実写化できたらどんなに素晴らしいか。一度完結している作品なので、矛盾があったところも修正してくれれば尚いい。でもそんなこと心配しなくても、納得のいく作品をこの制作陣なら今後もつくってくれるだろう。そこは制作者を信頼していい。それよりも日本では『ヒックとドラゴン』はどうも不人気なので、続編が世界で公開されても日本で上映されるかがかなり心配。映画文化はなぜ日本では世界と流れが違っているのだろう。日本だけ、先進国では世界共通の映画体験ができないという不思議がある。
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