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『async/坂本龍一』アートもカジュアルに

公開日: : 最終更新日:2021/08/17 映画:カ行, 音楽

人の趣味嗜好はそうそう変わらない。

どんなに年月を経ても、若い頃に影響を受けて擦り込まれた好みは、歳を取っても大して変わらない。毎日やっているルーチンワークも、その人の一生からとらえたら、若い頃と老いたときのものと差異はあまりない。ある意味、若い頃にその人のライフスタイルが、ほぼ決定してしまうのかもしれない。それは凡人だろうが天才だろうが関係ない。

自分が小学生の頃から聴き続けてきた坂本龍一さんの新作『async』が発表された。大病を経て8年ぶりのオリジナルアルバムだとか。タイトルの『async(アシンク)』とは、「同期しない・非同期」という意味。

自分が坂本龍一さんを知るきっかけになったのはテクノバンド『YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)』の存在から。テクノはリズムを機械で出している信号音に、ナマの演奏を同期させる。人間が奏でる演奏は、のればのるほど、演奏開始より後半の方がピッチがあがるもの。テクノは機械のリズムが基本なので、演奏者があがる気持ちを強制的に封じ込めることになる。人間が機械に操られる。テクノミュージックがクールで無機質な印象なのは、そこから由来する。

日常生活でも人間は、無意識にさまざまなものと同期している。自分にとって興味のある情報だけ取捨選択している。それによって脳のキャパオーバーでパンクしないように未然に防いでいるのだけど、意識しないと人は偏った考えに固執してしまう。あたかもそれが世界のすべてだと誤解してしまう。ネットの情報なんてまさにそれ。

坂本龍一 設置音楽展』なる催しが、ワタリウム美術館で行われている。最新アルバム『async』を、サラウンド・リミックスで浸るのもの。ファン心を刺激され、自分も足を運んでしまった。音楽というよりは音遊びの世界。不思議空間を堪能する。

ふと自分と同年代の中年のご婦人と、その娘さんらしい高校生くらいの若い子の二人連れの会話が聞こえてきた。

娘さんが「ぜんぜんワケがわからない」と言っている。お母さんが「わからないでしょ〜」とこたえてる。両者とも笑ってる。たぶんお母さんが古くからの坂本龍一さんのファンで、娘さんを連れて来たのだろう。娘さんからしてみれば、普段馴染みの聴きやすい音楽ではないので戸惑うだろう。でも娘さん、「わからない」と言ってはいても、けして怒っているわけではなさそうだ。むしろわからないことを楽しんでいる。お母さんもとくに説明するわけでもなく、ニコニコしてるだけ。そこには理屈はない。

坂本龍一さんの音楽は難解だとよく言われる。でも元ネタとなっている媒体はいつも同じ。アンドレイ・タルコフスキーの映画だったり、フィリップ・K・ディックの小説だったり……。むしろ30年前からずっと一緒のテーマだったりする。スタイルはコロコロ変えてるけど、根底は不動なり。いたってシンプル。よくもまぁ30年も手を替え品を替え同じことをやっている。自分もずっと坂本龍一さんを追いかけているので、さすがにもう作品が難解だとは思わなくなった。ただ坂本龍一さんのすごいところは、この30年でルーツとなったクリエイターたちと、作品を共につくって、自身もそのルーツの中に取り込まれていること。

この新作『async』は、アンドレイ・タルコフスキー監督の架空の映画のサウンドトラックなんだとか。

タルコフスキーは旧ソ連の映画監督。『鏡』という作品で、当時の社会主義への批判をしたため国を追われ、ヨーロッパを転々とする、流転の晩年を送っている。タルコフスキーがもしいまも存命だったら、現代社会を風刺したどんな映画を撮っていただろう? タルコフスキー映画はバッハなど既製の曲をサントラに使っている。坂本龍一さんが音楽監督をした作品なんて生まれたら、なんともまあアーティスティックなんだろうか!

アルバム『async』では、普段意識もしていないような足音なんかも音楽として扱っている。曲としては、音のそれぞれのリズムは意図的にバラバラにしている。いろいろな音があって良い。

世の中は、いつしか誰もが自分の知っている音しか認めなくなり始めている。己と考えが違うものは攻撃して排除する風潮。作品はそれへの警鐘。不寛容な流れは、昨今の欧米だけの話ではなくこの日本でも起こっている。そんな乾いた人の心に、さぞかしタルコフスキーも関心を抱いただろう。お得意の終末思想で。

タルコフスキーの映画が流行っていた頃の80年代後半は、空前のミニシアターブーム。小難しいアートシネマでもカッコイイと思えた。理屈をこねくりまわして読み解くよりも、まだ見ぬ新しい表現に好奇心を刺激されるのが楽しかった。そして時は過ぎ、多くのミニシアターも消えていき、いつしか「わからないもの」を楽しむ心の余裕すらなくしてしまった。

つくり手が高い志で、高尚な作品をつくってくれるのはとても贅沢なこと。それは流行に流されないウェルメイドな作品へとつながるから。でも受け手はカジュアルでリラックスしていていても良いのかもしれない。かつては高尚なものには神妙な態度を、ポーズだけでもとらなければという風潮もあったが、最近はそんなの流行らない。のめり込み過ぎず、素直に感じることの大切さ。先の親子のように、難しいゴタクは並べずに、ニコニコしながらアートを楽しむ余裕。それは本当にカッコイイ。

さまざま音があり、さまざま考え方がある。たとえ相手と意見が違くとも、それを楽しむゆとり。相手を尊重しあえれば、偏った考え方は緩和されていく。とかく日本人は、みな同じであることを良しとしてしまいがちだが、もう世界的にもムリがきているだろう。同期しなくてもいいじゃない? さまざま音が混ざり合うことが、より良い社会へ向かう第一歩なのではないだろうか?


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