『銀河鉄道の夜』デザインセンスは笑いのセンス
自分の子どもたちには、ある程度児童文学の常識的な知識は持っていて欲しい。マンガばかり読んでいて、それを読書と勘違いしないで欲しい。文字で綴られた文章を読み解いていくことと、絵とセリフで構成されたマンガとは、どうやら脳に与える刺激の部分が違うみたいだ。
自分は小説やら論文やら、文章で書かれているものを読むと必ず眠くなってしまう。それがどんなに面白い内容であっも、いつしか瞼が重くなってくる。それだけ疲れているのかと思っていたが、どうやら違う。マンガを読んだときは、逆に目が冴えてしまう。寝る前に読み始めたら眠れなくなって、いつも困ってしまう。
文章を読むことで、活字からいろいろ想像する。脳のどこかがストレッチされて、リラックスして眠くなってくるようだ。マンガは、センセーショナルな絵と言葉で逆に興奮させられて、目が爛々としてしまう。どちらも「本を読む」という同じ行動だけれど、文章を読むことは能動的で、マンガを読むのは受動的な行為みたいだ。
本をよく読む子は、勉強ができる子が多い。読書量が半端ない子は、神童と呼ばれるくらい天才肌の子もいる。逆にアニメやマンガにばかり夢中になっている子は……、あえて言うまでもない。自分も子どものころ、「そんな、マンガばかり読んでいるとバカになるよ!」と言われた。「ナンセンスな」と、当時思っていたが、あながち間違いではなかった。マンガは本だけど本じゃない。
でも自分は別にマンガを全否定しているわけではない。マンガを読んでひととき現実逃避することも、健康な精神状態を維持するには大事なこと。要するに、人様が作ったものにただただぶら下がっている時間がメインになってはいけないのだ。エンターテイメントとの適切な距離。これが大事。
日本児童文学の代表作、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。うちの下の子はまだ小1なので、この中編小説はまだ読めなさそうだ。とりあえず80年代にアニメ映画化された作品を観て、どんな内容のものなのか知ってもらおうと思った。自分はこの登場人物が猫になったアニメ映画のサントラが好きだ。細野晴臣さんが音楽担当している。
今の子どもたちにとって『銀河鉄道の夜』は、ただ悲しいだけの物語に感じられるみたい。「もう観たくない」と言っていた。
『銀河鉄道の夜』は、児童作品のスタンダード。先日観劇した演目も『銀河鉄道の夜』だった。「あの場面のセリフが違かったね」と語り出す息子。小1にしてすでに『銀河鉄道の夜』がどんな話か知っていて、脚色や演出に理解を示してる。なかなかシブいぞ。
宮沢賢治の世界観はとてもおセンチ。自分も若い頃は夢中になって読んだ時期があった。中年になった今では、この甘ったるい世界は恥ずかしすぎて寒気がしてしまう。
アジアの作品、とりわけ日本で人気の物語たちは、暗く悲しくおセンチに浸るものが多い。それは昔も今も変わらない。人をおちょくったウィットに富んだ笑いなど、そもそも理解できない国民性がある。作品のジャケットやポスターデザインも、ワザとダサくしているとしか思えない。なぜだろう?
日本人は日々の生活では、いかに我慢できるかが問われている。本音で語ってしまったら、すぐさま周りから潰されてしまう。小さくなって生きていくのが、いちばん差し障りなく幸せにやっていける。波風は立てない方がいい。そうなると現実逃避の媒体が必要だ。隠れてコソコソ自分だけの楽しみに浸る。世界共通語の『HENTAI』文化の誕生だ。抑圧された社会には、HENTAI文化が流行る。海外進出のマーケティングには使えるデータだ。
どっぷり浸るには、画面の構図は寄り過ぎな方がいい。周りが見えない方が、その世界観に集中できる。
自分は普段はグラフィックデザインをしているので、デザイン的なものには目が行きがち。センス良く見えるデザインは、如何に画面の余白(ホワイトスペース)を生かすかに問われている。被写体にグッと寄るのではなく、空間を使って、その被写体の魅力を引き出すか。
余白とは、心の余裕の表れ。職業にもよるが、基本的にデスクの上がいつもスッキリしている人は仕事ができる。グッと被写体に寄ったキツキツのデザインに、ちょっと余白を与えるだけで、被写体の可笑しみみたいなものが見えてくる。それはその被写体をおちょくったものでもある反面、ひじょうに親しみ深いものにもなる。余白(=余裕)で、今まで見えてこなかった視点が生まれてくる。
『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニは、貧しい家の子。友だちにもからかわれて、悲しい気持ちで日々過ごしてる。死後の世界へ向かう銀河鉄道に、友だちのカンパネルラと一緒の旅に出る。話の途中、ジョバンニとカンパネルラの行き先が違うことがわかってくる。ジョバンニはどうやら特別な切符を持っているらしい。
宮沢賢治は貧しい生活の中、いくつも童話を紡ぎ出してきた。辛い生活の中でこそ、このおセンチな世界観が生まれてきたのだろう。数多に文学は生まれては消え、忘れ去られていく。賢治の作品が時代を越えて愛されて続けてきたのは、彼の作品の言葉遊びのセンスからだろう。当時いちばんカッコいい言葉を集めて、適材適所でパッチワークしてみせる。その時代で最も新しいものを探求した作品は、最先端の感覚をはらんでいる。数十年くらい過ぎても、その新しさは色褪せない。
宮沢賢治は当時最先端のポップカルチャー。きっとのちに文学評論家たちがもっともらしいことを言ったりしたのが影響して、道徳的な児童文学になっていったのだろう。賢治自身も「自分の作品が、あなたにとって意味があるかどうかはわからない」と、挨拶文を書いているくらいだし。
いつかは特別な存在になる。ジョバンニが特別な切符を持っているのが、なんだかイヤミな感じがしてくる。きっと「本当の幸い」の人生というものは、何も特別な存在なることではない。ファンタジーで大冒険をした主人公が英雄になっていく物語はいくつもみてきた。その英雄は、大冒険のあとにはあまり幸せになっていないのもよく知っている。どうやら、何事もなく穏やかに日々を過ごすことこそ幸せな人生というものらしい。
宮沢賢治の貧困生活からくるのか、当時の日本人の貧しい生活がそうさせたのか、宮沢賢治作品は暗く悲しくおセンチだ。むしろ周りが賢治作品にセンチメンタルを欲して、願望を重ねたのかもしれない。
果たして宮沢賢治がどこまで読者を意識して著作を残していたのかは、想像するのが難しい。きっと本来は、当時の最新のスタイリッシュな文章を楽しむための媒体だったのではないだろうか?
宮沢賢治作品は、雰囲気を楽しむことに集中した方が良さそうな感じがしている。アニメ版と原作の解釈やニュアンスの違いをとやかく言ってもキリがない。わけがわからないけど、なんだか雰囲気がある。それこそが『銀河鉄道の夜』なのだろう。ならばこのアニメ化はうまくいってるし、作品に読者の数だけ解釈が生まれることが許されるなら、この『銀河鉄道の夜』という作品は、これからも何度でも翻案されていくのだろう。不思議な作品だ。
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