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『きみの色』 それぞれの神さま

公開日: : アニメ, 映画:カ行, 映画館, 音楽

山田尚子監督の新作アニメ映画『きみの色』。自分は山田尚子監督の前作にあたるアニメシリーズ『平家物語』がかなり好き。この映画『きみの色』の予告編を観たときすぐに観たいと思った。山田尚子監督というと、世間的には『けいおん!』や『聲の形』のような京都アニメーションとの共作が有名。自分は萌えアニメが苦手なので、どんなに面白いと言われても『けいおん!』は未だに観れていない。というか『けいおん!』の映画版がテレビで放送されたとき、それではとチャレンジして観てみたところ、秒で寝てしまった経験がある。どうやら相性はあまり良くないことが立証されている。『きみの色』は、『平家物語』と同じ制作会社のサイエンスSARU。それも『平家物語』と同じ絵柄。これなら観れる。

そういえば山田尚子監督の影響を受けた作品に、セルゲイ・バラジヤーノフ監督の『ざくろの色』をあげていた。どうやら山田尚子監督は、アニメやマンガだけが好きで、他のものはいっさい興味がないという人ではないらしい。アートがやりたくて、たまたまアニメになっただけなのかもしれない。そういえば彼女の作品の絵の構図や色合いは、バラジヤーノフ作品の影響を感じる。

『聲の形』は、絵柄こそ苦手だったけれど、内容がいじめにまつわる真面目な題材だったので観てはいる。萌えアニメの絵柄とは裏腹に、重い内容で鑑賞後すっかり落ち込んでしまった。『聲の形』の登場人物たちは、どうしてここまで傷つけ合うのだろう。もし実際に嫌いな人がいたなら、関わらないで距離を持つことに工夫を凝らした方がいい。その方がずっとラクに生きられる。奇跡でも起こらない限り、苦手な人とは永遠に分かり合える筈はないだろう。わざわざ相手の嫌なところを確かめ合って傷つけ合うなんて、なんてドSな生き方なんでしょう。

『聲の形』は、そのときの若者には必要な作品だったのかもしれない。あまりに内省的な作品なので、妄信的な観客もつくりかねない。心の中のネガティブな部分にフォーカスしていく感性は、一歩間違えば破滅へと向かってしまう。異世界や宇宙へ行ったり、ボクとキミが世界の破滅を救う「セカイ系」でもない『聲の形』。日常的な学生生活の描写と、鬱や精神疾患の心理描写は、追体験としてリアル。元気な人ですらネガティブ心理を呼び起こしそう。苦しみの場所から逃げ出さない限りは、登場人物たちは絶対幸せになれない。まるで戦争映画でも観ているかのようだった。好きとか嫌いとか判断しづらい作品。

近年の山田尚子監督作品には欠かせないのが牛尾憲輔さんの音楽。自分はテクノが好きなので、牛尾憲輔さんや彼の音楽ユニットagraphはよく聴いている。『平家物語』の劇伴では、時代ものにも関わらずニューウェイヴ調の曲を使ったり、ハンス・ジマー調の曲をかけたりと、実験的な遊びをたくさんやっていた。牛尾憲輔さんは、電気グルーヴのサポートメンバーでもあるので、目が離せない。

大ファンで心の師匠でもある坂本龍一さんが晩年、取り掛かっているサントラの仕事で、「途中で自分にもし何かあった場合は、牛尾くんに足りない楽曲をつくって欲しい」と指名していたらしい。坂本龍一さんが存命だったなら、牛尾憲輔さんとのコラボもあったかもしれない。そう思うととても残念。

『きみの色』の予告編を観たとき、牛尾憲輔さんの曲が全面にかかっていた。かなり好きな曲。『水金地火木土天アーメン』というタイトルだとのちに知る。バンドをつくる高校生たちの話とか。山田尚子監督は音楽にまつわる作品が多い。『けいおん!』の登場人物の苗字は、テクノバンドP-MODELのメンバーと同じらしい。山田尚子監督はテクノがお好きのよう。そういえば『鬼滅の刃』の原作者の吾峠呼世晴さんもP-MODELのフロントマン・平沢進さんのファンだとか。女性の気鋭クリエイターに人気のP-MODELの偉大さよ。

今回の『きみの色』は、原作なしのオリジナル作品とのこと。最初から映像作品だからこそできる演出を想定してつくっている。それこそ牛尾憲輔さんの音楽ありきでの企画。YouTubeに流れたメイキングでは、劇中のバンド曲をつくる山田尚子監督と牛尾憲輔さんの姿が紹介されている。作詞が山田尚子監督で作曲編曲が牛尾憲輔さん。お二人が、きゃあきゃあ言いながら曲をつくっている姿がとても楽しそう。あたかも『きみの色』のバンドを組んだ3人の登場人物たちそのままにみえた。監督と音楽家が盛り上がっている。ボーカル担当の若い役者さんたちが、はしゃいでるその大人たちをポカーン見ているのが面白かった。それこそ大人の方が子どもになっている。子どもの頃の気持ちを忘れないまま大人になることは、実はとても大事なこと。

『きみの色』は山田尚子監督作品の中ではメジャー扱いになる。邦画のヒットメーカー(?)川村元気さんプロデュースによるプロモーションのせいか、あざとさがハナにつく。公開前から主題歌のMr.Childrenが作品に合わないのではないかと懸念の声で溢れていた。公開後も、「いい曲かもしれないけど、ラストシーンで聴きたいのはコレじゃない!」との声も散見した。Mr.Childrenといえば、20年以上前からずっと若者ソングを歌っている。『きみの色』の登場人物からすると、お父さん世代。もしかしたらおじいちゃん世代かも。そんな世代が若者向けの映画の主題歌を歌ってしまうと、説教ソングになりかねない。一歩間違えば老害。映画の最後にミスチルがかかって台無しにされてしまうかもしれないと、それなりに諦めの覚悟を決めて映画に挑んだ。結果として、ミスチルの曲はそれほど悪くはなかった。共同編曲に牛尾憲輔さんがついているので、作品の流れは壊さないように工夫されているのだろう。

辛口な言い方をすれば、ミスチルというバンドのイメージには、すでにもう手垢がつきすぎてしまっている。CMやドラマなどでタイアップ曲が多すぎるせいだろう。そのCM感が、逆に映画の夢から現実世界へ目を醒させてくれる効果になっている。ミスチルの歌う曲は、若者への応援ソングが多い。曲自体には現実逃避的な要素がある。ミスチルの曲は、あまりに日本の日常のあちこちで使われすぎてしまった。彼らの曲を耳にするだけで、日々の生活を思い出してしまう。プロデュース意図としては、ミスチルを主題歌に使えば作品に箔がつくと、鉄板のコラボを目論んだのだろう。でもきっとその意図とは別の意味の化学反応効果が起こってしまった。ミスチルがラストシーンにかかることで、この映画『きみの色』はパキッと完結する。でも、登場人物たちの物語はまだ続いていく。映画を観た我々観客の人生も、まだ先がある。次のステップに進むための切り替えの儀式みたいに感じた。

『きみの色』でテネタリスという言葉を覚えた。優しさを意味する言葉らしい。この映画に登場する人たちはみな優しい。相手のことを思いやりながらも、けして深入りすることはない。詮索したり踏み込んだりするような無粋な人はいない。それはお互いのことを尊重しているから。若い男女が集まっているのに恋愛にならないのがおかしいとの声もあったけれど、それこそその意見は凡庸なドラマ展開に毒されてしまっている。この『きみの色』は、あえて雛形になりがちなドラマ展開を避けている。センセーショナルなことが一切起こらないのに、映画は面白い。登場人物たちの魅力だけでシナリオは展開していく。これはつくり手としてはかなり難しい道を選んでいる。作品の中に事件が起こった方が、いくらでも見せ場はつくれてしまう。あえて事件は起こさないで、静かに映画が進んでいく。「ひとつの空間を用意する、ふたりの人物を配すれば、それだけで映画が始まる」と、ジャン=リュック・ゴダール監督も言っていた。『きみの色』は、ハプニングが起こらないスリリングな映画。

ありきたりな恋愛ドラマ展開は、ここではまた別の物語。『きみの色』の登場人物たちにも今後、そんな展開もやってくるかもしれない。けれどいまはそれより大事なことがある。恋愛以外のときめきをみつめていくことに、この映画の非凡性がある。相手の領域を踏み込まない、語らない優しさは、ドラマで描くのはものすごくハードルが高い。フィクションの人物にも人格がある。ドラマの展開で、こう喋ってくれれば展開しやすい言葉というものがある。でもそこでそのキャラクターがその言葉を言わなそうな人だったら、そのキャラクターの人物像が壊れてしまう。ストーリーよりもキャラクターのパーソナリティを重視していく。人を描くという繊細な作業。

主人公のトツ子ちゃんは、人が発する色を見ることができる。そういえばタレントで俳優の塚地武雅さんも、人のオーラが見えるとテレビ番組で言っていた。番組では医学的にそれを証明しようと、塚地さんに検査を受けていた。医師が言うには「ときどきオーラが見える人はいる」とのこと。「とくに心配することはない」と。「この見えているオーラには何か意味があるのですか?」と医師に詰め寄る塚地さん。医師の返事は「まったく意味はないです。ただオーラが見えるだけです」との味気ない返答。ほのかに特殊能力を期待していた塚地さんは、がっかりしていた。

『きみの色』のトツ子ちゃんの他人の光が見える能力も、それ自体には意味がない。ただ、意思の強そうな人は、強い色を発しているみたい。トツ子ちゃんは色が見える得体のわからない能力に頼って、付き合う人を選んでいく。

人付き合いで相手を選ぶとき、人は見た目以外の何か別の感覚も使っている。人は見た目が9割と言うけれど、肝心な部分は第六感のような能力が働いてる。犬や猫がひと目で相手を見定めるのも、そんな理屈ではまだ解明されていない能力によるものだろう。トツ子ちゃんの色が見えるという能力は、そんな感覚のメタファー。たとえ相手の色が見えなくとも、誰もが無意識のうちに何かの感覚を使って人間関係を築いている。

主要3人の登場人物は、みな心優しい高校生。人間関係でさまざまな悩みを持ってはいるものの、けしてふてくされることはない。それがいい。とても育ちがいい人たち。実際、私立のミッション系の学生だったり、町唯一の医者の子だったりと、裕福な家の子たちでもある。経済的に豊かな環境で育っているとはいえ、それぞれの心も豊かな人たちであることは伝わってくる。ようするに、実家が太くてもイヤミがないイノセントな人たち。

類は友を呼ぶ。優しい人のところには優しい人が集まってくる。でもただ優しいだけでは、ずるい奴に搾取されてしまう。優しさの中にも強さが必要。悩む主人公たちを見守る大人たちも優しい。それこそ気にはかけてくれるけど、けして深入りしてこない。本人が何も言わなければ、何も聞かない。何か話してきたら、真摯に応えてあげる。大人たちもかつては若者だった。尖った感情を心に秘めて、いつしか自身の中でそれと折り合いをつけていった。尖った感性と社会性の両立。かつて自分も通った道なので、若い子たちが何をやっているのかはなんとなくわかる。だからこそそっとしてあげる優しさ。

ミッション系高校ということで、キリスト教の考え方が映画の登場人物たちに反映してくる。これまでアニメに登場するキリスト教といえば、押井守監督や庵野秀明監督の作品のような不気味な引用が多かった。『きみの色』での宗教観は、日常に信仰を持つことの大切さを描いている。過去の歴史で弾圧を受けたキリシタンが命をかけて信仰を貫いたのはなぜだろう。労働しか知らなかった農民たちが、生まれて初めて触れた文化がキリスト教。なんとも美しいと感じでしまったのだろう。

映画のエンドロールで、劇中聖歌歌唱の協力にカリタス学園の名前があった。自分は昔、カリタス学園の隣のマンションに住んでいたことがある。名門私立校ということもあって、とてもきちんとした学生さんばかりだった。あるとき、「近々に学園祭があるので、お騒がせしてご迷惑おかけするかもしれません」と、生徒さんが我が家にあいさつにきた。そしてその学園祭に招待してくれた。その頃我が家は第一子が生まれたばかりで、とても余裕がなくて、結局その学園祭には行けなかった。学園祭当日、本当にイベントが行われているのかと思うくらい、学校はいつものように静かだった。やはり育ちのいい子たちは、どこまでもきちんとしている。今思うと、せっかく招待された学園祭、見に行けばよかったかも。

第一子が生まれた病院は、聖マリアンナ医科大学病院だった。カリタスの隣に住んで、聖マリに通院で通う日々。キリストさまとマリアさまを行ったり来たりしていた。すでに亡くなった親戚に、キリスト教徒の方がいたので、護ってくれていたのかしらと、都合よく解釈してしまいたくなる。

自分の家系のルーツが、この映画の舞台になった長崎県佐世保市にあると聞いたことがある。自分が知っている祖父母の代では、東京近郊の出身者ばかり。せいぜい山梨出身。関東から離れた場所で生まれた人は知らない。きちんとした資料を見たわけではないので、長崎出身説の真相は確かではない。かつて佐世保に行ったとき、初めての場所なのに怖いような気分になった。なにか遺伝子の記憶が呼び起こされたのだろうか。自分の父方の苗字と母方の苗字は、九州に多いと聞いたことがある。九州出身の人から、「生まれはあちらですか?」と、数人に聞かれたこともある。自分の顔立ちが、九州や長崎の人に多い人相らしい。NHKの番組『ファミリーヒストリー』みたいに調べてみたい気もする。

そういえば『きみの色』のボーカルでギター担当のきみちゃんの顔が他人に思えないでいた。自分が若かったころや、自分の子どもがきみちゃんに似ている。きみちゃんのキャラクターデザインは、長崎人らしい顔立ちなのだろう。

『きみの色』は、観客に想像させる余白の部分が多い。なんでもコミカライズ版やノベライズ版では、端折られた表現もこと細かに描写されているとのこと。オリジナルの映像作品のノベライズ版は、若手のライターさんが担当することが多い。シナリオ制作会議に参加しているインターンのような人が、初めて書く一般発売される書物だったりする。だからこそ文章のレベルに差がでてしまう。映像作品のノベライズでデビューして、大作家になっていく人もあれば、最初で最後の作品の人もいる。原作なしのオリジナル作品では、映画こそが完成版。端折られた部分も、その割愛に意味がある。映画を観てもわからなかった部分は、観客がそれぞれ想像すればいい。答えはひとつではない方が面白い。

「しろねこ堂」と名付けられた劇中のバンド。音楽映画で架空のバンドが登場するときは、その演奏される楽曲によって映画の感動も左右する。『シング・ストリート』などのジョン・カーニー作品や、キャメロン・クロウ監督の『あの頃ペニー・レインと』などは、映画のためだけにつくられたバンド曲が命。映画を観終わったあと、そのバンド曲が聴きたくてサントラを探すようなら大成功。

唯一の男子のルイくんは、テルミン弾き。オルガンも弾くし、DTMのマニピュレートも担当している。彼が音楽的に引っ張っていったからこそ、「しろねこ堂」の音が洗練されていく。なんだか牛尾憲輔さんとキャラが被ってくる。トツ子ちゃんときみちゃんが途中、バンド活動が出来なかったとき、ルイくんはひとりでコツコツ曲をプログラムしていたのだろう。他の2人のメンバーに喜んでもらいたい一心で。なんとも健気で泣けてくる。彼女たちが戻ってきたとき、ルイくんがめちゃくちゃ喜んでいた。

「しろねこ堂」のバンド編成は一風変わっている。きみちゃんがボーカル&ギター、トツ子ちゃんはキーボード、ルイくんはテルミンとオルガン。キーボードが2人いる。曲を形成する他の音はDTMでカバーする。そうなると自然と音はテクノになる。ライブシーンでハッとした。キーボード2人編成だけど、トツ子ちゃんはベースパートを弾いている。ベースパートを弾くトツ子ちゃんは舞台上手。ボーカルのきみちゃんは当然センターに立つ。そしてキーボード主旋律を弾くルイくんは舞台下手。この3人の立ち位置はYMOと同じ。テクノで3人組といったら当然YMOを意識しないはずはない。やってくれましたね。

高校の文化祭のバンドなど、ほとんど誰も期待していない。でもときどき、めちゃくちゃカッコいいバンドがいて、立ち止まってしまうことがある。それが「しろねこ堂」。映画の中で少しずつ、なんだかいい曲が出来上がってきているような様子が垣間見られる。それでも全容はなかなか見せない。満を持してクライマックスのライブシーン。一曲目が始まって、ホールに偶然いた聴衆たちが「あれ誰?」と噂し始める。二曲目で、聴衆たちがこのバンドはホンモノだと確信する。もう三曲目ではみんな、そのバンドのファンになっている。それほど期待していなかったバンドが、徐々に認められていく姿が、リアルに描かれている。観客である我々は、「オレ、あの子たち知ってるよ!」と聴衆たちに自慢したくなる。もうスクリーンの存在を忘れて、一緒にライブを楽しむしかない。

これからの社会では、互いを認め合う優しさの感性が求められてくる。その感性は、人を追いやってでも、上に立てと教えられた世代にはない真逆のもの。社会の景気がいいときなら、頑張ったなら頑張っただけの結果が得られた。でも今はそんな時代ではない。ほんの一部の富裕層を目指すことで、貧乏人は搾取され淘汰していく。どう成り上がるかよりも、どうサバイブしていくかのセンスの方が大事。自分だけなんとかなればいいという考えでは、かえって生きづらくなる。互いが互いを助け合うセンスが求められる。まさにテネタリスのセンス。

上の世代であればあるほど利己的考えの人が多いと感じる。年寄りの方が精神年齢が幼くて、若者の方が早いうちに大人になってしまっている。そんな「大人な若者たち」が、これからの社会をどんなふうにデザインしていくのか。メディアに登場する現実の大人たちは、自分のことばかりの幼稚な人たちばかり。そんな老害たちは、相手を打ち負かす手段には長けている。サイコパスはもう飽きた。せめて映画の中だけでも、優しい人たちに出会いたい。そんな人間関係を夢見ることで、いつしか現実もそれに近付いていけるのではないだろうか。即効性はないけれど、ファンタジーには現実を変えていく力もある。ファンタジーの力に期待したい。すいきんちっかもくどってんあーめん。

 

 

 

 

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