『TAR ター』 天才やらかしあるある
賛否両論話題となっている映画『ター』。世界的な最高の地位を得た天才指揮者リディア・ターの目を通して、クラシック業界を描いていく。かくも天才の顛末の物語。自分のような一般市民が、日常生活の中で絶対に出会うことのない人物が主人公。才能が認められ、地位と名声、富を得た世界的な天才芸術家の姿。天才というのはどんな人なのか、どんな生活をしているのか興味は尽きない。我々凡人との違いを見比べてみたい。それがフィクションとしてでもその一端に触れることができるのも映画の魅力。想像力が膨らむ。
この映画の主人公リディア・ターは、実在する世界で有名な音楽賞を多数獲得している。名実ともに成功を手に入れた人。会話に出てくる名称も実際に存在するものばかり。渋谷のBunkamuraにもリディア・ターは公演に来たらしい。未だ映画の中でcovid19によるパンデミックに語られることは少ないが、この映画ではコロナ禍を経験したあとの世界としてきちんと描かれている。映画が制作された2022年、リアルタイムのpresent dayが舞台ということになる。もうリディア・ターが実在する人で、その人のドキュメンタリーを観ているかのような錯覚に陥ってしまう。しかもサントラ・アルバムは、まるでリディア・ターが指揮をとった作品のようなデザイン。クラシックの老舗レーベルのグラモフォンからサントラCDが出ている。あの独特の黄色いタイトル冠の下に、ケイト・ブランシェットが演じるリディア・ターのアーティスト写真が載っている。徹底した遊び心。もうフィクションの域を越えるパラドックスの世界。
監督のトッド・フィールドはじめ、この映画の制作陣は、実際の高明な世界的芸術家の取材を綿密にしているのだろう。リディアのアトリエが、以前観た坂本龍一さんのドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto CODA』の中のそれに似ている。きっと音楽家のモデルのひとりに坂本龍一さんも入っているのだろう。そうか、リディア・ターの地位は坂本龍一の存在に近いのか。
天才芸術家からみる世界とはどんなものなのか、この映画で観客も疑似体験させてもらえる。天才とナントカは紙一重とよく言われる。それが凡人の嫉妬から出てきた言葉とも言い難い。映画を観ていると分かってくる。リディア・ターは、凡人には聴こえない音を聴いている。だからこそ、凡人が普通に見えるものが見えていない。
リディアは常に美しいものを求めている。その理想の美しいものに、あと少しの努力で手が届くことを知っている。芸術をつくりあげることへの貪欲さ。それは名声や地位を得たいという俗物的な欲望ではない。ただただ純粋に、自分の中にある美しいものへの追求。常に手を空に向けて伸ばしている。地から足が浮いているのが常態化。その美にそぐわないものは、純粋に排除したい。たまたまリディアは芸術の世界と自分の能力がマッチした。だから評価された。でも世間が評価するポイントにそぐわない天才も、世界には山ほどいる。そんな世界から評価されない天才は、生涯生きづらさと戦い続けなければならない。それではリディアは順風満帆の人生なのだろうか。
リディアが音楽大学の講義をしている場面が興味深い。その場面をひとことで言うなら、「リディアが気に入らない学生を侮辱して退席させた」こととなる。でも別の側面からこの場面を観ることもできる。世界的な指揮者の講義。これから学んでいこうとする学生からすれば、圧倒的権力をもった、脅威的な人物の講義でしかない。そんな力を持った人物が、はたして駆け出しの学生を捻り潰そうとするだろうか。この場面は10分くらいあって、1カットの長回し。延々とリディアが、ひとりの学生に詰め寄っているように見える。他の学生たちも、すっかりリディアに怯え凍りついている。そもそもその学生が、課題曲に実験音楽を選んだことが発端となる。リディアは「なぜそんな難解な曲を最初から選ぶのか。バッハのような誰もが知っている曲を課題に選びなさい」と言いたかっただけなのかもしれない。そうなるとリディアの説明は回りくどい。リディアがバッハを課題曲に薦めたら、学生が反発した。リディアはどんなにバッハが素晴らしいかを伝えようとする。その過程で、学生のセクシャリティについて立ち入ってしまったりしている。そもそもリディアもセクシャル・マイノリティを公言しているので、そのポイントで学生を侮辱する筈もない。学生は笑顔を繕っているが、ずっと貧乏ゆすりをしている。追い詰められていく学生。リディアは、学生がなぜナーバスになっているか理解できない。「私はオーソドックスな正論を言っているだけなのに」と。
リディアは自分に自信がある。それは人を魅了するカリスマ性となっている。この場面でのリディアは、自分の中の知識の引き出しが全開になって、トーキングハイになっている。次から次へと思考の波がやってきて、話がどんどん横道にそれていく。リディアはこの音楽談義が楽しくて仕方がない。実のところ、談義と思っているのはリディアだけ。会話というのは、誰かが一方的に話すことではない。会話はキャッチボール。よく会話のマナーで、自分が話したいことがあるなら、それを1割にして残りの9割は相手の話を聞くぐらいの心持ちでいなさいというものがある。話しすぎというのは、人間関係のトラブルにつながりやすい。
リディアの溢れんばかりの音楽知識は圧倒的。でもリディアは、場の空気に気づけない。これは明らかに生きていくためには障害。よく高学歴の学生に、発達障害を持つ人が多いと聞く。高学歴だからといって万能な筈はない。むしろ偏った能力の副作用に苦しめられている。そんな学生が大学を出たらどうなるか。普通の人が当たり前にできることができなくて難儀することもある。「いい大学をでてるくせに、なんでこんなこともできないのか」と、あちこちで責められてしまう。そのうちその人は鬱になってしまうのは当たり前。
天才肌の人のなかには、日常的なあいさつを交わすことも不合理に感じる人もいる。「もっと意味のある話をしろ」と言わんばかり。その「意味のある会話」というのはなんぞや。何かの議論であったり、学問であったり、学術的な会話だったりする。高尚なことを話す以外に言葉を交わす意味などないと。でも日常で大切なのは、意味がある会話より、相手に敵意を感じさせない意味の薄い言動のほう。
「今年の冬はあったかいですね」「光熱費が節約できて良かったわ」と差し障りのない挨拶を交わしていく。とくに関わりがあるわけではないけれど、感じの良い人の印象づくり。そこにドラマはない。ただ、ちゃんと挨拶をして、お互いの存在を認め合っている安心感。結構その意味のない人間関係は、人生をラクに生きるためには必要不可欠。無意味な会話は無意味ではない。
人ひとりができることには限界がある。リディアの音楽的能力と知識は、人並みはずれている。けれども他人の気持ちが理解できる能力は著しく乏しい。自分がとんでもない権力を持っていることにも自覚がない。周囲の人が畏敬の念を抱いていることすらわかっていない。ただただ音楽の美の探究が楽しいだけ。それは小さな子どもが、何かに夢中になる姿と似ている。例えるなら「IQの高い赤ちゃん」。そこがリディアの最大の落とし穴。「私はなにひとつ間違ったことは言ってないのに、なんでみんなわからないのかしら」
自分の美意識と合わないメンバーがいれば、その人の貢献や人間関係も構わず、容赦なく外してしまう。外された人が、仕事を失い路頭に迷うかもしれないという想像力は、リディアにはない。そうして無意識の暴君を繰り返していけば、周囲は敵ばかりになってしまう。無意識の恐怖政治。サイコパスなファシストと化す。人から恨まれていることさえも、リディアはまったく無頓着。むしろリディアから見れば、世界の方が不条理に見える。
天才リディアの生きづらさも、この映画はちゃんと描いている。音の感覚が鋭いが故に、音に対する感覚過敏に日頃悩まされている。他人が発するシャーペンのノック音が気になる。冷蔵庫の音や、別の部屋にある止め忘れたメトロノームの音で眠れなくなったる。森から悲鳴のような音が聞こえたりもする。それはあたかもホラー映画のよう。途中から映画の展開が変わるのかと、観客のこちらも身構えてしまう。野犬に追われているように感じたのは、リディアの幻覚なのか現実なのかわからない。リディアにとって、それくらい現実と夢の意識はいい加減。
才能のある人が人格者とは限らない。いくら能力があるとはいえ、一人の人間にすべての権限を委ねてしまうような、狭い業界のシステムには問題がある。天才にはそれをサポートするプロデューサー的存在がいる。そのプロデューサーは、天才よりも権限を持っていた方がいい。常に天才の味方で、叱咤激励できるような忍耐強い人。そのプロデューサーたる人が、その天才がつくる作品のファンであった方が尚のこといい。
リディアは自分がなぜ追放されるのか、本質はわかっていない。次は東南アジアの音楽学校に教師として招かれる。ドイツの第一線で活躍していた人物が、落ちぶれたと言われても仕方がない。でも受け皿になってくれる場所があってよかった。リディアを受け入れる学校からすれば、世界的に高明な先生が来てくれるのだから大歓迎だろう。一度すべてを失ったリディアの新しい人生が始まろうとしている。
でも待って。リディアは自分の失敗の原因に見返っていない。同じ轍を踏むのは目に見えてわかっている。リディア自身、自分の過ちの自覚がない。リディアが再びステージに立つ。なんだか会場の様子がおかしい。これが現実なのか幻覚なのかわからないまま、映画は終わっていく。リディアの生きづらさの人生は、まだまだ続きそうだ。
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