『ベルサイユのばら』ロックスターとしての自覚
「あ〜い〜、それは〜つよく〜」
自分が幼稚園に入るか入らないかの頃、宝塚歌劇団による『ベルサイユのばら』が流行っていた。いわゆる『ベルばらブーム』。原作は池田理代子さんの漫画。
普段は漫画を読まない自分の親も、宝塚の舞台版『ベルばら』にはハマっていた。主人公のひとりで男装の麗人・オスカルのフィギュアがウチにもあった。幼心に「オスカルの軍服、カッコイイ」と思っていたものです。
のちにこの作品は連続テレビアニメになった。自分はこのアニメ版の方が馴染み深い。当時の小学生の間では、少女漫画であるのに関わらず、女子よりも男子の方が夢中になって観ていたような。マリー・アントワネットやフランス革命がテーマの本作。史実を元にフィクションを交えて描かれているのにロマンを感じた。
それまで学校で習う歴史の授業は、自分にとっては記号の羅列でしかなかった。この漫画を通して、歴史の記号の向こう側にも、自分たちと同じ血の通った人間がいたのだと、想像力が刺激された。
貧富の格差が激しい300年前のフランス。貧しさは人の心は荒ませ、経済的な豊かさに羨望や嫉妬心を抱く。なら貴族なら幸せかと思いきやさにあらず。日々豪遊を繰り返していても、心の隙間は埋められず、さらなる富を求めて人殺しでもなんでもしてしまう。貧しすぎても豊かすぎても不幸。その中間ってないのかしら。
マリー・アントワネットは実在の悲劇の王妃。この漫画でも描かれているように、その容姿に誰もが魅了され、ひと目で肯定してしまう。まさに美と権力を併せ持つ。そんな魅力的な王妃がいたなら、さぞ周りの人たちは心乱されて、どうしても彼女に好かれたいと思ってしまうだろう。彼女にバッサリ嫌われたら、人格否定をされたと感じるほど傷つく。アントワネットに嫌われた者は、必要以上に彼女を憎んでしまう。アントワネットは今で言うならロックスター。会う人会う人誰からも好かれてしまう。本人にその才能の自覚がないから、心ない態度もとってしまう。
アントワネットのゴシップは、相当捏造もあったらしい。魅力的な人物であったが故に、いらぬ恨みも受け、貧しい民衆たちの絶対的な憎しみの対象となってしまったのだろう。
どうやらアントワネットは読書が嫌いだったらしい。読書家はたいてい一人きりになるのは平気なもの。一人でできる趣味がないと、常に大勢とつるんで大騒ぎしないと不安になる。本が教えてくれる「世の中の道理」の情報は貴重だ。アントワネットが自分自身の魅力に自覚があって、それに伴う自分を磨くための努力をしていたら、歴史は違っていただろう。天賦の才能が、自分の首を締めてしまうという皮肉。
もうひとりの主人公・オスカルも魅力的だ。女性でありながら王妃付きの近衛兵隊長。それがやがては貧しい側の味方につき、民衆たちと共に革命に参加する。しびれるほどカッコイイ存在。歴史的事件や実在した人物をスルスルとつなぐ語り部の役目も担う架空の人物。
このオスカルのビジュアルは、BLモノのハシリ。でもまだオスカルは女性としてのアイデンティティを保っている。現在に至るまでに漫画の世界の性のメンタリティは、ガラパコス化して不明確になっていった。もう、いちげんさんお断りの世界観。
心の荒んだ人たちが、狂ったようにいっせいにロックスターをバッシングして叩き落そうとする。ベルばらブーム当時は、外国の歴史の物語とファンタジーのように観ていたけれど、なんともまあ現代にシンクロする。
「たとえ我が身は滅んでも、我が志は誰かが継いで永遠だ」と、革命家たちは勇敢に権力と立ち向かう。
革命の加熱は狂気と隣り合わせ。集団による熱狂は、残虐性もはらんでいる。この激しさはフランスに流れるラテンの血ならでは。反面、日本人なら耐えて耐えてフラストレーションに押しつぶされて、物言わぬままガマン死にしてしまう。ギロチンなんて野蛮な文化で理解しがたいようだけど、日本にだってハラキリ(切腹)という文化がある。同じようなものか?
さて現代の日本も格差が激しくなり、ますます生きづらくなった。ふつふつとみんなの不満がにえたぎる。果たして現代日本にも革命は起きるの?
当時漫画は、大人たちがいぶかる存在だった。今ではむしろ大人たちの方が漫画を読んでいる。少女漫画にあるドラマチックな演出には迫力がある。キレイな容姿の登場人物や、それこそ薔薇を配した画面構成。見開きで魅せる劇的なグラフィックと、詩的なセリフ。絵と活字で、これでもかと読者の感情を煽る。それが登場人物たちの人生に重要な場面で、適材適所に描かれる。演出技術としては素晴らしい。
でもこれに感化されて、現実世界をこのフィルターでみてしまう読者が生まれたら悲劇だ。ドラマチックな演出は、言い切るからこそ決まるけれど、現実はもっと淡々としている。事象に対する答えもひとつじゃない。「漫画でああ言っていたからいいのだ」ではなく、なぜ作者がこの表現を選んだのか考察した方が建設的。人生なんてドラマチックじゃない方が、幸せな一生をおくれるもの。ドラマチックを回避する術をドラマから学ぶ重要性。
『ベルばら』を描いていた頃の原作者・池田理代子さんは、当時まだ24歳。ものごとの根幹を直感的にとらえられる天才なのが伺える。ブームから40年たつ今でも、充分通じるウェルメイドな作品だ。
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