『わたしを離さないで』 自分だけ良ければいい世界
今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ原作の映画『わたしを離さないで』。ラブストーリーのようなタイトルだけど、実はものすごく暗く重く、恐ろしい映画。
ディストピアSFでありながら、過去が舞台。臓器提供だけのために生まれたクローンの話。そのプロットを聞いてピンとくるのはマイケル・ベイ監督、ユアン・マクレガー&スカーレット・ヨハンソン主演の『アイランド』。こちらは鑑賞後すぐ忘れてしまいそうな軽い映画。テーマが興味深いのに残念だと思っていた。その満たされない欲求は、『わたしを離さないで』ではきちんと描いてくれている。
映画鑑賞後、人権とはなんぞや?生とは?と考えさせられる。映画の前半は学園ものとして、抑えに抑えた演出でみせてくる。校則の厳しい、保守的な閉ざされた学校の物語かと思わせる。映像は全編を通して美しい。とても知的な描写だ。
原作のカズオ・イシグロの作品『日の名残り』も閉ざされた空間でのヘルパーの話とだった。主人公はみな、己を抑え込んで誰かの人生をたどるだけの生き方。
『わたしを離さないで』の不気味なところは、描かれているのが末端の人の視点のみで、上層の世界が意図的にまったく描かれない。社会がどれだけ、臓器移植のためのクローンの存在を知っているのか、まったくわからないまま。大きな流れの中で消えていく人とは、こんなものだろう。
クローンたちを教育する教師たちも、「あなたたちはかわいそう」と言いながら、何かモノを見るような冷たい視線。感情移入していないのがわかる。クローンをモノとしてみている。共感などしてしまうと、自分の心も病んでしまう。それはある意味、奴隷制度やホロコーストを許してしまう群衆心理。
クローン人間に果たして魂や人権はあるのか? 答えは明白。誰かの遺伝子情報をコピーして、人造的に生まれた人間。誰かとまったく同じ容姿や体質であれども、まったく同じ人間ではない。人は育つ環境や、時代によって性格だって変わってくる。
ある一部の人が幸せになるために、他の人がどうなろうと関係ないという考え方は、社会の構造としては歪んでいる。食肉用に飼育された家畜でさえ、屠殺の場面は残酷らしい。ましてや同じ人間ならばなおのこと。
長く続く不景気の影響で、デフレが進む昨今。高い物は誰も買えない。でも安かろう悪かろうでは、また誰も買わない。安くて良い品質の物を売るには、人件費を減らすのが手っ取り早い。ファストファッションをはじめとする多くの産業で、発展途上国での安くて過酷な労働力をアテにしているのも当たり前になってしまった。果てない残業も労働力として計算しているブラック企業とブラック社員も同じ。クローンは搾取社会のメタファー。
目先の利益目的で、もしかしたら世界の見知らぬ誰かが犠牲になっているかも知れない。かといって搾取する側が豊かになるかといったら、そんなわけでもない。消費側も経済的に厳しいので、もっと安くもっと良い物でなければ財布の紐は緩めない。ブラック環境はさらに進み、緩やかに世界全体的の首が絞まっていく。
物語の舞台が過去なのが巧みだ。今こうして生きていられるのは、もしかしたら無意識のうちにすでに誰かを踏み台にしていたのではと、考えずにはいられない。
日本は昔から人権には無頓着だ。一人の戦国武将の天下とりに、多大の戦の犠牲はいとわない。近代の多くの戦争もどんなに犠牲を払ってでも、目的遂行第一だったりする。人一人の命の重さは紙よりも軽くなる。差別や格差から始まり、人権軽視、人権無視の究極は戦争だ。
第二次大戦中、小学校では「あなたたちは20歳まで生きられない」と教えられていたらしい。当時の子どもたちは「そんなものなんだろう」と受け入れざるを得なかった。従順さ故のやるせなさ。戦争が終わった途端、これから生きてもいいと、大人たちの態度が手のひらを返すように変わった。怒りを覚え、大人に不信感を抱くようになる子どもも多かった。今までの苦労はなんだったのかと。子どもたちに、「お前たちには未来がない」と刷り込む教育は洗脳でしかない。とても悲しい。
自分だけが良い思いをすれば、あとはどうでもいい。世の中がそんな方向へ向かっている。そんな中、この先AIが進化し続けたら、AIにも人権がでてくるのではとも語られている。
同じイギリスSF映画『エクス・マキナ』を彷彿させるテーマだと思ったら、脚本のアレックス・ガーランドは、どちらの作品にも携わっている。作者の意思や意図は、どんなに様相を変えても伝わってくる。これが真の個性というものだろう。一部の権力者によって虐げられる存在なんてイヤだ。著者や作り手の真摯な問題意識。
ダークで美しい映画。寝る前に観ると悪夢をみてしまう。利己的な社会の行き先は、破滅しかない。本当の幸せな生き方とは一体何なのだろうとしみじみ考える。もしその考える行為を多くの人がやめたとき、世界が崩れ落ちるのは一瞬だ。いや、もう崩れ始めてるのかも知れない。
関連記事
-
-
『東京物語』実は激しい小津作品
今年は松竹映画創業120周年とか。松竹映画というと、寅さん(『男はつらいよ』シリ
-
-
『龍の歯医者』 坂の上のエヴァ
コロナ禍緊急事態宣言中、ゴールデンウィーク中の昼間、NHK総合でアニメ『龍の歯医者』が放送さ
-
-
『ビバリーヒルズ・コップ』映画が商品になるとき
今年は娘が小学校にあがり、初めての運動会を迎えた。自分は以前少しだけ小中高の学校
-
-
『怪物』 現実見当力を研ぎ澄ませ‼︎
是枝裕和監督の最新作『怪物』。その映画の音楽は坂本龍一さんが担当している。自分は小学生の頃か
-
-
『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』妄想を現実にする夢
映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』は、女性向け官能映画として話題になった
-
-
『ジョーズ』 刷り込みでないと言ってくれ!
平日の昼間に放送しているテレビ東京の『午後のロードショー』は、いつも気になっていた。80年代
-
-
『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』これからのハリウッド映画は?
マーベル・ユニバース映画の現時点での最新作『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』をやっと
-
-
『ジョジョ・ラビット』 長いものに巻かれてばかりいると…
「この映画好き!」と、開口一番発してしまう映画『ジョジョ・ラビット』。作品の舞台は第二次大戦
-
-
『薔薇の名前』難解な語り口の理由
あまりテレビを観ない自分でも、Eテレの『100分de名著』は面白くて、毎回録画してチェックし
-
-
『Perfume』最初から世界を目指さないと!!
アイドルテクノユニット『Perfume』の パフォーマンスが、どんどんカッコ良